ヨーロッパの見事な古地図とその世界観、天動説の下「異端と言えるほど過激」な地図も
注目すべき2つの地図
古地図には製作者の文化的、政治的先入観が反映されている場合が多い。支配者の権力や影響力を示すために、国の領土や特定の交易ルートを誇張して描くなど、地図は単に航海の道具ではなく、力を誇示するための、さらには教育やプロパガンダのための道具でもあった。 Oculi Mundiが網羅している時代のなかで最も重要な探検の1つは、1492年のクリストファー・コロンブスによる南北米大陸への航海だ。地図製作者ヨハンズ・ロイスは、世界地図「Ptolemaic Atlas」の中で南米を「Terra Sancta Crucis sive Mundus Novus(聖なる十字架の土地あるいは新世界)」と呼んでいる。これは米大陸が印刷された最初の地図の1つだった。 現代の基準からすると、この地図は必ずしも正確ではない。しかし「“新大陸発見” の興奮と、それが何を意味するのかを判断しようとする人々の困惑ぶりが伝わってきます」と、バーバー氏は言う。 もう1つの注目すべき地図が1603年にフランドル人地図製作者アブラハム・オルテリウスが手で彩色した世界地図だ。「これは現代の意味における最初の世界地図で、物事を地理的に正確にとらえた最初の重要な一歩です。今の世界地図と同じように、世界を地理的に系統立ててまとめてあります」と、サンダーランド・コーエン氏は言う。 このオルテリウスの地図は、私たちが現在慣れ親しんでいる最初の近代的な世界地図であるうえに、当時南半球に存在すると推測されていた大陸「Terra Australis nondum cognita(南にある未知の土地)」も描かれていた点も意義深い。 オルテリウスは、当時の考え方に基づいて存在すると信じられていた南の大陸を、地図に反映したのだと、米サザン・メーン大学で地図学史の教授を務めるマシュー・エドニー氏は説明する。 17世紀初め、ヨーロッパ人はオーストラリア探検に乗り出した。しかし南極大陸に近づくには、頑丈な船ができる19世紀まで待たなければならなかった。オルテリウスが描いた南の広大な土地は「間違いではなく、世界を理解しようとした歴史を表しているのです」とエドニー氏は言う。