【エッセイ】初めてのセックスが素晴らしかったと言える女性は、どれだけいるだろう?
初めてセックスをした相手は、その後の人生観を不可逆的に変えた人だった。深く愛されることの安心感を教えてくれた男性と、筆者は最後の会話を交わす。
あなたが教えてくれたこと
私が処女を失ったのは、赤いハート型のバスタブとウォーターベッドが完備された、ニュージャージーにあるモーテルでのことだ。そこは世界で一番ロマンチックな場所に思えた。私が初めて信頼した男性、ジョニーと一緒だったから。 あれから33年後、ジャージー・ショアの小さなビーチタウンにある彼の家の玄関ポーチに座り、私たちはこうしてビールを飲みながら笑って泣いて、初体験を思い出している。 隣に座っているジョニーは車椅子に乗っていた。実際のところ、彼は笑ったり飲んだりすることはできない。筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患っているから。だけど、まばたきをすることによって、椅子に取り付けられたスクリーンで意思表示をすることはできた。 ALSとはなんて恐ろしい病気なんだろう。誰よりも活気に満ちたハンサムな男性が、話し、食べ、歩く能力をこの4年で失い、やがては呼吸する能力も失うことになる。 30年も会っていなかったけど、お互いの家族はまだ親しかった。だから彼と最後に会うために、子供の頃から毎年夏になると家族で過ごす町を、特別に訪れたのだった。 母と私はその日の朝、別れを告げに行った。小一時間なんとか会話をしたものの、話の内容はまだ歓談にとどまっていた。だけど、帰ろうと立ち上がったときに思った。ずっと言いたかったことを言わなければならないと。 身をかがめて、彼の耳元でささやいた──「私たちはラッキーだったよね。あなたは私にいろいろなことを教えてくれたけど、なかでも大きかったのは信頼だった。それから、セックス」。 彼は、目がハートになっている笑顔の絵文字で答えた。
記憶と押し寄せる寂寞
ジョンとモーテルの部屋で過ごしたあの夜、私はついに信頼を知り、深い脆弱性から生まれる肉体の喜びとセックスを知った。ついに解放されたのだ。 あれから数十年後、母とジョニーのもとを訪れてから数時間のち、私は両親の新居のバルコニーに座り、彼と初めて恋に落ちたビーチを見つめていた。孤独と寂しさを感じるなか、よみがえってくるあらゆる思い出を、誰かに語りたかった。 ジャージー・ショアにいた頃から、私の人生は激変している。でもジョニーと会ったことで、過去が新鮮によみがえったのだ。ロサンゼルスやニューヨークにいる友人に連絡を取ろうとも思ったものの、彼らにはきっと理解できない話だろう。 じゃあ、誰が理解してくれる? ジョニーだ。だから「何してる?」と連絡した。 「ああ、ただ座っているよ」と、彼は笑顔の絵文字と共に返信をくれた。「ビールでも持ってうちに来る?」 まばたきで雑談を書くのは難しいに違いない。それでも彼はすごく上手で、笑わずにはいられなかった。 そして私はジョニーの言った通り、そうした。コンビニへ行ってバドライトの6本パックを買い、介護士に玄関ポーチまで連れられた彼と会ったのだった。 私はロッキングチェアに腰掛けて、古いベンチに足を乗せた。そうして座って「喋り」ながら、二人して日が昇るまで笑ったり泣いたりしていた。私はビールを飲みながら、彼はビールを飲みたいなと言いながら。 返事したり質問をしたり、彼がそうしたことをまばたきによってスクリーンに映すのには時間がかかったが、この空白の時間が気にならなかった。私たちのあいだには安心感がある。いつだってそうだった。