にぎり寿司の原型であり世界が認めた伝統の発酵食「鯖のなれずし」のお味とは?
#310 Obama小浜(福井県)
日本海の寒流と暖流が出会う豊かな漁場が広がり、かつては北前船が立ち寄る港でもあった若狭湾に面する小浜。この滋養豊かな海に育まれた魚介類、そして北前船によってもたらされた物資は、小浜を起点に京都や奈良などの都へ運ばれました。 【画像】これが、米と糠で発酵させた鯖のへしこ! その小浜と京都を結ぶ街道は、通称“鯖街道”と呼ばれていました。鯖街道にはいくつかルートがあり、なかでも最も古く、最も険しいのが針畑(はりはた)越え。 鯖売りたちは翌朝に京都へたどりつくために、鯖や甘鯛を背中にしょって急峻な山道を一昼夜歩き通したそう。「京は遠ても十八里(約70キロ)」、大して遠くはないさ、と自分を鼓舞(叱咤? )しながら、夜の峠道を越えていったことでしょう。 京都へ運ぶ鯖や甘鯛は、小浜で朝に水揚げされたのち、“一塩”をして送り出されました。これにより魚の鮮度を保つと同時に、峠越えをする間にタンパク質がうまみ成分のアミノ酸に変化して、京都に到着する頃にはいい塩梅になったそう。 京都では、小浜から運ばれた塩漬けの鯖を塩抜きして作った鯖寿司を“一塩もん”と呼び、たいそう珍重したそうです。
発酵食が発展した地域ならではの食文化
小浜では発酵食の文化も発展しました。たとえば、へしこ。鯖などの魚を樽の中で糠と塩に約1年間漬け込んだ、いわば“魚の糠漬け”です。 小浜では、この“へしこ”を使った“なれずし”が名物。なれずしとは、各地のにぎり寿司の原型ともいわれる、新鮮な魚と米をあわせて発酵させた伝統的な保存食です。つまり一般的には新鮮な魚を使うところを、小浜のなれずしは発酵した魚を使うのがみそ。ダブルで発酵!? 気になります。 この“へしこのなれずし”の名人に会いに、小浜市街の北東に位置する内外海(うちとみ)地区の田烏(たがらす)へ向かいました。 田烏は、百人一首にも詠まれた、海に向かって100枚もの棚田が続く、日本の原風景のような景色が広がっています。 プラスチックの樽がいくつも並ぶへしこの保管場所で待っていたのは、「内外海 本づくり へしこ・なれずしの会」の代表にして、「年間民宿 佐助」を切り盛りする森下佐彦(すけひこ)さん。 昔ながらの製法を守りつつ、今では小学生の体験学習や大学の研究室に発酵時のデータを提供するなど、なれずしの継承に尽力しています。 明治期から、若狭沖の日本海では大型船による鯖の巾着漁(巻き網漁)が行われ、田烏にも多くの漁師がいました。大漁時には50本、100本の鯖を入れたトロ箱が漁師に渡されたそう。そんなに大量の鯖を一般家庭では食べきれないと、保存食のへしこ作りが始まったのだとか。その延長で、へしこのなれずしも始まったと森下さん。 かつては田烏には100世帯ほどが存在し、その半分はなれずしを作り、それぞれの家庭の味があったとか。ところが鯖が獲れなくなり、なれずしも作れなくなっていきました。森下さんは焦燥しました。大切な伝統料理のへしこなれずしが消えてしまう! こりゃ黙っとったら、あかん! そして田烏の人に声をかけ、この危機的状況を説明し、結成したのが「田烏さばへしこ・なれずしの会」(のちの「内外海 本づくり へしこ・なれずしの会」)。言い出しっぺだからと、代表をまかされてしまったそう。平成16年のことでした。