ホンダ・エアラ(1977)「ナナハンにトルコン」ホンダ初のオートマ大型バイクはどんな走りだったのか?
新時代のスポーツ車を目指した「ホンダマチック」搭載モデル
1970年代の半ば、今回の主役「ホンダ・エアラ」のベースとなったCB750Aの紹介記事で「アメリカ人はオートマ車しか乗ったことがないからクラッチ操作に不慣れである。だからバイクもオートマにすれば売れる」といった内容の部分を見て笑ったことがある。 【画像23点】ホンダ・エアラ(1977年)の独自機構を写真で解説。トルコンだけど実態はオートマじゃない!? ……時は巡ってそれから約半世紀後の今日、日本で売られているクルマのAT比率は、当時の、そして今日のアメリカ(北米)に比肩する。そしてクラッチレス&オートマのスポーツバイクも選択できる時代になった現在だが、そんな想像が働かなかったはるか昔、ホンダは早くもクラッチレスに加え、オートマではなくホンダマチックなる機構を搭載した「エアラ」という不思議な車名のモデルを市場に送り出していた。クラッチレススポーツバイクの隆盛を予感させる現在、その元祖的な国産モデルを紹介してみよう。 【余談】AT大国アメリカへ先陣を切ったのは、実はモトグッチだった! 1973年秋の石油ショック、原油価格の高騰がもたらした北米市場の大型二輪ブームは、本来モーターサイクルとは無関係な人々まで巻き込んで広がっていった。オートマチック大国(当時は)のアメリカでは、不慣れなクラッチ操作が必要ないビッグバイクという、それまで予期しなかった需要が当然(突然?)わき上がり、 それに真っ先に対応したのが、なんとイタリアのモトグッチ。 1975年に「V1000コンバート」というザックス製トルクコンバーター+2速ギヤボックス装備のモデルをリリースしたのだ。2段ギヤの切り替えにはクラッチを使用するものの、トルクコンバーターによって2速ギヤのいずれでも停止でき、クラッチを使わずに発進が可能だった。なおモドグッチは同車を1982年まで生産した。
ホンダマチック! その実態はオートマチック(自動変速)に非ず
セルモーターを回して始動したエンジン音は、紛れもなくCB750Fourのもの。ただし妙におとなしく、また4本マフラー独特の弾けるようなサウンドもない。「なかなかジェントルだなぁ」と思いながら、“クラッチを握らず”にシフトレバーを1段かき上げてローレンジにインゲージする。ちょっと大きめのクリーピングを感じつつアクセルを開けていくと、じつにスムーズに走り出した。 試乗車のエアラは、1977年にホンダから発売されたオートマチックバイク……などという基本的な説明はマニアにとっては「釈迦に説法」だろう。いずれにしても、このエアラは姉妹車のホークAT(400cc)ともども、スクーターなどを除くと70年代当時の日本で二輪車史上唯一のオートマチックバイクだったのである。 そして勘のいい読者ならすぐに、「エアラはオートマではない!」という鋭い突っ込みを入れてくるだろう。そう、エアラはオートマチック(日本語に直せば“自動変速”)ではないオートマバイクなのである。なぜか?「自動変速」しないからである。エアラのどこを見ても「Automatic」というエンブレムは見当たらないことからも分かろう(カタログには“オートマチック”という表記が、小さくなされているが)。その代わりに、サイドカバーには“HONDA MATIC(ホンダマチック)”というエンブレムが、誇らしげに付けられている。 このホンダマチックなる、文字どおりホンダオリジナルの変速機は、ありていに言えば「流体トルクコンバーターに2段マニュアル変速機を組み合わせたもの」で、四輪車のシビック(1972年発売)に、1973年から搭載されたのが最初。そしてエアラは、このミッションをバイクに流用したものなのだ。 当時四輪ではすでに主流だったオートマチック(主流は、流体トルクコンバーター+3段自動変速機)を、なぜホンダは使わなかったのか? 理由はいくつもあろうが、オートマチックにつきもののBW(ボルグワーナー)社へのパテント料の支払いを本田宗一郎が嫌ったからと一般的に言われている。「ひとと同じ穴は掘らない」といわれるホンダのことだから、それで大きな間違いはないだろう。 さらに考えられるのは、当時1300cc以下の小型車しかなかったホンダにとって、通常のオートマはサイズ、コストなどの点から必ずしもベストではなかったはずだということ。実際、ホンダマチック以前にホンダはN360やH1300といった車に(きっとパテント料を支払って)オートマチックミッションを採用している。それらのミッションも、ミッションメーカーから買ってくることはせず、ちゃんと内製しているところがホンダらしいのだが。 本題に戻ると、ホンダマチックのキモは複雑な油圧回路を必要とする自動変速機構をなくし、変速段数を減らすことにより大幅な低コスト化、小型化を行い、それを補うために流体トルクコンバーターのトルク伝達比を高めたことと言っていい。またそれは、ホンダの考える小型車用イージードライブ機構の決定版だったに違いない。そしてそのメリットをバイクにも生かせないものか? そう考えた技術者がいたとしても不思議はない。 チャンスが到来したのは1973年の秋、第四次中東戦争が引き金となった世界的な原油の不足、価格の高騰だった。これによりガソリンの価格が大幅に上がってしまった。そうした状況下、一部のアメリカ人は(一時的にしろ)フォードやシボレーといったクルマを捨ててバイクに走った。それが70年代に北米で日本製ビッグバイクが爆発的に売れた理由だ、なんて夢も希望もないことを言うつもりはないが、少なくとも日本製ビッグバイクの販売台数を相当引き上げたことは事実だ。 とはいっても、アメリカといえばオートマチックの国。不慣れなクラッチ操作に起因するクレームやトラブルが相次いだ(らしい)。たとえそういった問題がなくても、アメリカ人のためにクラッチ操作の要らないビッグバイクを……と考えるのは技術的にも商売的にも悪くはない話だ。そうして生まれたのがエアラのベースとなったCB750Aである。1976年モデルとして登場と、なかなか素早い身のこなしである。