2002年W杯で2得点、稲本潤一が現役引退 印象に残る試合は『サンドニの悲劇』「ジダンのボール全く取れなかった」
サッカー元日本代表で、関東リーグ1部の南葛SCに所属するMF稲本潤一(45)が4日、東京都内で記者会見し、今季限りで現役を引退すると発表した。日本が初めて16強入りした2002年W杯日韓大会で2得点と活躍。06年ドイツ大会、10年南アフリカ大会にも出場した。稲本は「すごく楽しかった。28年間やってきて、やり切ったというのが正直な気持ち」とすがすがしい表情で語った。今後は指導者を目指すという。 ◆夫・稲本潤一と2人の子どもとの4人ショットを公開した田中美保【写真】 10歳代で華々しくJデビューを飾り、日欧で駆け抜けた28年間のキャリアに終止符を打った。1999年世界ユース(現U―20W杯)で準優勝した「黄金世代」の小野伸二らがピッチを去る中、45歳まで現役にこだわった稲本は「サッカーが楽しいことに尽きる。真剣勝負の中でポジションを勝ち取って、試合に出る。この経験は何物にも代えがたい」と言った。 97年にG大阪で当時最年少の17歳6カ月でJデビューすると、17歳7カ月でJリーグ初得点を挙げた。屈強なフィジカルを武器に得点力も兼ね備え、現代サッカーのトレンドを先取りした大型ボランチとして第一線で長く活躍した。 02年W杯では1次リーグのベルギー、ロシア戦でゴールを決めた。「あの試合をきっかけに自分の名前を世界の人たちに知ってもらえた。インパクトはすさまじいものがあった」と稲本。イングランド・プレミアリーグのアーセナル、トルコ1部のガラタサライ、ドイツ1部のフランクフルトなど欧州のトップクラブを渡り歩いた。 最も印象に残っている試合として、01年3月に敵地でフランスに0―5の惨敗を喫した「サンドニの悲劇」を挙げ、「一番ショックで印象に残っている。どんな相手でも球を取れる自信があったけど、ジダンに限っては全く取れなかった」と振り返った。 22年から関東1部の南葛SCでプレーし、今季は選手兼任コーチとして活動していた稲本は今後、指導者としてのキャリアを本格的にスタートさせる考え。稲本は「自分の経験を、より高いレベルで伝えていきたい」と話した。
中日スポーツ