女性の歌声に希望を見いだした1990年代、進化続ける「Get Wild」 40周年、Jポップのレジェンド小室哲哉さんが語る〝新しい音〟とは
「良くも悪くも日本は、与えられた外来の文化を全て優れているものだとして、受け入れなければならなかった時代があったと思います。自分たちの文化が最高だとは思えない状況から始まって、ヨーロッパやアメリカの文化と元々あるアジアの文化が嫌でも混在してしまう。ごった煮じゃないですか。それが僕の音楽に出てしまうんだと思う」 放った曲は次々とミリオンセラーとなった。「90年代、自分の感情がどうだったかっていう記憶はない。本当に工場のように働いていただけなんです」。売れるだけ、悩みも増えた。「うれしいけど、やっぱり『けど』と言ってしまう。だってみんながどう思って曲を聴いたのか、100万人の感想は知ることは不可能ですよね。今のアーティストもストリーミングの再生回数が億単位。同じように戸惑っているんじゃないかな」 ▽大きかった坂本龍一さんの死 6月29日、愛知県芸術劇場を皮切りに、東京、福岡、兵庫、北海道と各地でオーケストラを率いて「ELECTRO」公演を開く。その合間には、パリで開かれるJAPAN EXPOでもステージに立つ。1990年代に圧倒的な存在感で音楽界をけん引した小室さんが、なおも走り続けるのはなぜなのか。
「間違いなく、坂本龍一さんの死があります」 「イエロー・マジック・オーケストラ」で電子音楽の新たな領域を切り開き、2023年3月に亡くなった偉大な先達。小室さんは1995年、教授と呼ばれて親しまれた坂本さんと、自身が企画した音楽イベントの打ち上げで話し込んだことを覚えているという。「音楽の話は全くなかった」。話題に上ったのは、当時のアメリカのクリントン政権が進めていた「情報スーパーハイウエー構想」だった。「教授には悔いがあったと思うんです。テクノロジーの進化をもっと見たかったんじゃないでしょうか」 小室さんは2022年に理化学研究所の客員主管研究員となり、人工知能(AI)を使った作曲支援システムの開発に携わっている。それは坂本さんの遺志を受け継いでいるかのようにも思える。「教授は一分一秒を惜しんで音楽を作っていらした。休んじゃおうかなと思っても、もし教授だったらやるだろうなと思って…。それが一つの支えになっています」 ▽新しい音を探して