女性の歌声に希望を見いだした1990年代、進化続ける「Get Wild」 40周年、Jポップのレジェンド小室哲哉さんが語る〝新しい音〟とは
小室さんが自分の表現を託したのは、女性の歌い手たちだった。「高い声、女性の声の方が届きやすいと本能的に、勝手に思っていたんです」。低い歌声は体格に左右されがちだが、高い歌声は練習すればものになる。「カラオケでも『私この曲、元のキーで歌えるよ』みたいな楽しみ方をしてもらえたらと思った」 バブル崩壊後の経済的な低迷も、女性の歌声に着目するきっかけだった。「男性はやらなければならないことに追われていたし、男の子の動きが目立たなくなっていった。女の子の方が服装も含めて自由で創意工夫があって、仕事や学校以外にも楽しめるすべを知っていた。そういう女性たちが、歌の題材としてすごく面白かったんです」 居場所が見つからない、分かってもらえない…。渋谷の街にたむろするような少女たちの思いをすくい取り、歌に昇華させる。華原朋美さんの「I’m proud」などはそうやって生み出された。 若い男性の文化が不良性と結び付きやすかったのに対して、女性の側はギリギリで踏みとどまっていたとも小室さんは考えている。「いいことといけないことの線引きはちゃんと分かっている。彼女たちはとても賢かったと思う」
小室さんが曲を提供しながら、厚底ブーツのファッションなどであくまで自分らしさを追求した安室奈美恵さんは、そのスタイルで同世代の女性の憧れとなった。 95年にリリースされたhitomiさんの「CANDY GIRL」では一歩引いて、彼女に作詞させた。「黙ってられない」「自由に歌っているの」…と弾む歌詞が軽やかにあふれ出す。「彼女には日記を付けてって言ったんです。朝昼晩、とにかくノートに全部書いてみて、って。そうすると僕には思いつかない言葉が浮き上がってくる。僕が足した言葉はない。自分で思い描いた言葉が歌になって、彼女もうれしかったんじゃないかな」 女性の声に希望を見いだしたのは必然だったのかもしれない。小室さんは振り返る。「女性を軽視してはいけないという空気が1990年代にようやく出てきた。女性たちを応援したいという思いも自分の中にあった」 ▽戦後のごった煮 時代を席巻した小室サウンド〝らしさ〟はどこにあったのだろう。「育った環境みたいなものも出るんじゃないのかな」と小室さんは語る。。それはまさに戦後日本の成り立ちとも関わる。