菊地凛子×磯村勇斗×岡野真紀子が、映像界の課題を語り合う。「ウーマン・イン・モーション」レポ
「まだ日本の作品は女性が控えめなイメージがある」
立田:岡野さんが手がけた新作『さよならのつづき』を拝見しました。私も見るまで気づかなかったのですが、日本のコンテンツというのは、「強い女性」と「弱い女性」が対比されている表現がよく出てくる。けれど本作は、女性が全員強い。これはどんな意図があったんでしょうか。 岡野:脚本家の岡田惠和さんがNetflixで初めて書くにあたって、「バイブルワークショップ」という、キャラクターをどうつくっていくかということについて、グローバルな感覚を持ったショーランナーの方とディスカッションをやったんですね。 そのなかで「日本の作品は素晴らしいキャラクターが出てくるけれども、なぜか女性たちがみんな控えめなイメージがやはりまだある」という一言があったんです。岡田さん自身も「もしかしたら無意識にそういったキャラクターを書いてたかもな」と思っていて。今度は誰の付随物でもなく、自分自身で人生を切り開いていくキャラクターによって物語が動き、エピソードになる――ということにトライしてみたいということでした。 磯村さんも見ていただいたとのことですが、いかがでしたか? 磯村:もちろん強いと感じましたし、そこがいまの時代を切り取っていると思いました。『さよならのつづき』だけの話ではないのですが、じゃあ男性をどう描くかが難しくなっていると思っていて。「強い女性」の対比として、取り巻く男性が柔らかくなっている傾向があるように思います。 立田:それは違うなって感じるんですか? 磯村:どちらも見たいですよ。強い男性も見たいし、柔らかい男性も見たいです。 立田:菊地さんは、作品における女性像の変化は感じますか? 菊地:私の話でいうと、ギレルモ・デル・トロ監督の『パシフィック・リム』で、いわゆるヒーローものの作品のなかで、恋愛に至らなかったヒロイン――つまり男女関係なくヒーローになっていくというのが、当時新しいと言われていましたね。 ヒロインは、男性のヒーローの添え物のように描かれることが多かった。そのときはそこまで意識できていなかったんですが、そういう意味で、新しいことをやる監督だったんだなと。物語も時代によって変化があり、多様性をもって変わっているんじゃないかなと思います。 立田:菊地さんはさまざまな内容の脚本をもらうと思いますが、「いまどきこんな女性はいない」と思うような脚本をもらったことはありますか? どういうキャラクターだと演じてみたいと思う? 菊地:私がもらった脚本のなかで、そういうふうに感じたことはあんまりないですね。じつはその感覚になったかどうかをあまり覚えてなくて、だからそこが問題なんだろうなとも思いますし、自分自身も知りたいんですよね。 役については、どれも自分とは違うから、やってみたいって思います。(演じる役が)自分じゃないからこそ、そのひとが理解ができる。自分が見てない風景が見られるわけなので、初めて他者を理解する作業にもなるというか。 なので、いろんな立場の人間を描くことで、自分もそれを理解して、その立場に立って傷ついて初めてこの世界が理解できる――理解できた、とまではおこがましくて言えないのですが――あるいっときの煌めきのなかにその瞬間を見たとき、少しだけその人の立場を理解できたり、何かグッとくる瞬間って、ないですか……?(磯村と笑い合う) と思うと、いろんな立場の心模様をやるっていうのは、ある種の人たちと手をつなげるというか、何かそういうものが女性男性関係なくあるといいなと思います。