木村沙織ラストゲーム飾れず「東レらしいバレーできていたと思う」
妹の美里「いっぱいカバーしてもらいました」
「戦いながら何かを伝えていきたい」。それは木村が今季を戦う前に語ったこと。迫田は言う。「沙織(木村)さんの一言一言で私も頑張らなきゃと思った。沙織さんが1点取ったら自分も乗っていけるしチームも勝っていける。さすがの一言です。プレーも技術も素晴らしいですが、人としても素晴らしい方。チームのことを本当に一生懸命に考えてくれていて」。大事な車体戦、迫田は木村の気持ちに応えるように要所要所で高い打点から力強いアタックを叩き込んだ。 「東レアローズの一員でいられる事、妹と一緒にプレーができる事が幸せ」。2人でプレーする姿を母に見せたいと話していた。両親も見守っていた最後のNEC戦では第4セット途中で両足がつり最後までコートにいることはできなかったが、それまで2人でレセプションを担った。 妹の美里は言う。「2枚でレセプションをするようになってこれまで以上によく会話していましたね。二人とも左で取るのが得意だから、“左で取ろうね”って話し合ったり、ときにけんかもしたり。姉だからいろいろ言えた。沙織ちゃんがいてくれたから2枚でもできたって思う」。 「妹の私が狙われるので、いっぱいカバーしてもらいました。自分が崩れたときにも真ん中くらいまで寄ってくれて助けてもらいました。技術では助けることができないので、声やハイタッチでも助けてあげられると信じて、声を出していきます」。この日も美里は何度も何度も声を出し、姉にも話しかけた。
女子バレーの顔として戦い続けてきた
成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)在学中の2003年に日本代表に選ばれてから五輪に4度出場、2012年のロンドン五輪ではエースとして日本に28年ぶりの銅メダルをもたらした。東レには2005年に入団し、V・プレミアリーグで4度優勝。名実、人気ともに女子バレーの顔として戦い続けてきた。そんなサオリンがついに現役を引退、コートを去った。 「沙織(木村)さんは誰もが一緒にプレーしたいと思う人。一緒にプレーできているのは自分の中では奇跡でありがたいこと。東レだけでなく日本代表でも一緒に戦ってオリンピックでメダルも取れて嬉しかった。沙織さんは近づきたくても近づけない存在。私も応援している人たちと一緒で仲間というより、沙織さんの“一ファン”だから、1試合でも1本でも多く沙織さんとプレーしたいと思ってやっていました」と迫田は嬉しそうに話した。「スタートダッシュができなくて個人個人が苦しんだけど、一人ひとりが諦めず、勝ち星を一つずつ取っていってファイナル6に入れた。諦めないでみんなで前を向いたら結果はついてくるんだということも感じさせてもらった。ファイナル3に進めなかったのは残念でしたけど、素敵なシーズンを戦えてよかった。バレーを続けてきてよかったです」