【シリア問題の基礎を学ぶ】この国が世界を揺るがす理由…ロシア、イラン、イスラエル、米国、トルコはどう関与
■ そもそも「アサド政権」とは シリアは古代文明が栄えた街がありながら、国としての歴史はそう古くありません。16世紀から20世紀前半まではオスマン・トルコ帝国の支配下にあり、フランスの委任統治を経て独立したのは第2次世界大戦後の1946年でした。 独立後、イスラム教の宗派対立が絡むクーデターを繰り返し、政治は安定しませんでした。それを独裁という形で安定させたのは、ハーフィズ・アサド氏。今回ロシアに亡命したアサド大統領の父です。 軍人だったハーフィズ氏は1969年の政変で実権を握り、1971年に国民投票で大統領に就任すると、バース党を率いて独裁体制を築き上げました。2000年に息子のバシャール・アサド氏が政権を継承した後も、バース党による一党独裁が続きます。 2011年に民主化運動「アラブの春」が広がった際には、軍を動員して国民の抵抗を封じ込めたことから、内戦に発展しました。アサド政権は、反政府活動を展開する国民に向かって化学兵器を使用するなど、「今世紀最悪の人道危機」と言われる状況が長く続いたのです。 2015年には国連安全保障理事会がアサド政権と反政府勢力に停戦・和平を促す決議を採択しましたが、内戦は今に至るまで止まっていません。
■ ロシアとイランはなぜシリアに関与 古くから交通の要衝として栄えた歴史が示す通り、シリアは他国の干渉を受けやすい地理的条件下にあると言えます。実際、内戦が始まると、大国や周辺国が相次いでシリアへの関与を強めました。 ロシアは2015年にアサド政権側に付いてシリア内戦に参戦し、反政府勢力の拠点などを空爆しました。それは、プーチン政権が中東やアフリカへの影響力を強めるため、シリアに軍事拠点を置くことが目的だったとされています。その後もロシアはアサド政権への支援を続けました。 イランは、アサド政権のシリア、およびレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラなどと連携し、「シーア派の三日月地帯」を形成しました。ハマスへのロシア製の武器供与は、シリアを通じて行われています。 中東にはイランが支援する武装組織のネットワークができており、これらはイスラエルや米国に抵抗するという意味から「抵抗の枢軸」と呼ばれています。ところが、アサド政権の崩壊に伴って、「抵抗の枢軸」を支える武器の補給路が断たれる恐れもあり、イランにとっては大きな痛手となりそうです。