【独自】南こうせつ75歳『神田川』大ヒットの裏に葛藤…“4畳半”のレッテルから逃れ田舎暮らしで見つけた“人生哲学”とは?
2024年11月24日、デビュー55周年の記念コンサートで満員の観客を魅了した南こうせつさん(75)。 【写真18枚】南こうせつ75歳『神田川』大ヒットの裏に葛藤…独占インタビュー 写真で見る 11月には「NHK紅白歌合戦」に27年ぶりに出場することが発表されるなど、75歳の今も第一線で活躍を続けていますが…、その歌手人生は順風満帆ではなかったといいます。 南こうせつさん: どこからともなく“4畳半ソング”というレッテルを貼られ。暗い歌は世間にはいらないみたいな。 大ヒット曲を生み出したことで、“自分の求める音楽”に行き詰まった20代…。 人気絶頂の中“自分らしくいるため”に選んだ田舎暮らし…。 南こうせつさん: 僕の中では旅なんですよ。今でも新しい旅。今でもそう思ってます。 75歳を迎えた南さんの”現在地”、そこで見つけた南さんならではの人生哲学を、『めざまし8』単独インタビューで語り尽くしてもらいました。
憧れた東京から田舎暮らしへ
南こうせつさん: そうっとね…よろしくお願いします。 コンサートを翌日に控える中、自然体の笑顔でカメラの前に現れた南こうせつさん。 東京を離れ、田舎暮らしを始めて40年以上。今、楽しんでいることは…。 南こうせつさん: 僕はもうガーデニングが好きだから、そこで大きい苗木を植えて、今はもうこんなになってね。本当にすごいですね、40年。 大分県で生まれ育った南さん。かつて東京は「憧れの場所」だったといいます。 南こうせつさん: 新しい音楽が次々に戦後の歌からだんだん高度成長期へ向かって日本が豊かになっていく、歌もどんどん変わっていく。流行のものが入ってくるもとが全部東京なんですよ。なんなんだろうこの東京という街は。 ザ・ピーナッツさんとかが出てきて、中尾ミエさんもそうですね。かわいいベイビー、ハイハイ!って。 日本が目覚ましい経済成長を遂げる中、様々なジャンルの音楽に触れたいと、高校卒業後、上京することに。 南こうせつさん: そのころは大田区の4畳半のアパートでした。近くに馬込温泉っていう…今あるのかな、お風呂屋さんで(友人と)髪洗ったりして。 4畳半のアパートで夢見ていたのは、おしゃれの街・青山で暮らすこと。そして、仲間と音楽に明け暮れる中で、あの名曲が誕生するのです。 1973年、かぐや姫として発表した「神田川」が ミリオンヒットを記録。 その後も、「赤ちょうちん」「妹」が立て続けにヒットし、一気にスターへの階段を駆け上がります。 南こうせつさん: ついに憧れの青山に住める!(ガッツポーズ)って。 しかし、ヒット曲を生み出したことである葛藤を抱えることに…。 南こうせつさん: まあ、どういう流れかレコード会社や、売れるといろんな大人たちに囲まれて。第2弾「赤ちょうちん」次は「妹」。どこからともなく“4畳半ソング”というレッテルを貼られ。暗い歌は世間にはいらないみたいな。 周囲から求められるのは、貧しい恋人同士の歌ばかり…。そして、手に入れた青山での暮らしも手放すことになります。