「謝罪で総理の職を手にした石破氏」と「絶対に謝らず失職した斎藤前兵庫県知事」を分けた命運ーー重要場面を左右する「謝罪」の肝
これまで正論一本でやってきた石破氏が、最大の見せ場で謝罪を行ったことは、議員含め自民党員の投票を動かす大きな原動力になったと考えられます。ここぞという場面で、師の教えを実践できたのではないでしょうか。 ■一方、「謝らない男・斎藤前兵庫県知事」は… 時期を同じくして、パワハラ、公益通報の握りつぶし、優勝パレード資金問題など、さまざまな疑惑と批判にまみれた斎藤元彦・前兵庫県知事は、県議会による不信任決議に基づき、自ら知事失職を選択して県庁を去りました。
連日の報道や轟轟たる世論、記者会見での突き上げがあっても辞職しない斎藤氏は、「鋼のメンタル」とも呼ばれました。職務を遂行することを宣言し続け、テレビに出演して自身の正当性や業績アピールをしました。 もちろん会見などでの発言で、自分の言動に不適切な点もあったことは認めています。しかしそれは発言の表現などについてのものであり、問題の本質であるパワハラや公益通報への対応については、終始「適正だった」と言い続けました。
表面的なお詫びはしても、本質部分では終始一貫して、一度も謝罪はしていないといえます。 斎藤氏の判断は、失職を受け入れる会見で述べていたように、「(知事を)辞めるほどの問題ではない」というものです。だから謝る必要もないという理屈になるのだと思います。 私はハラスメントの専門家という立場から、さまざまなマスコミの取材を受けましたが、斎藤氏のパワハラ行為も、公益通報対応も、いずれもきわめて深刻な違反行為であり、首長としての責任は免れないだろうと述べました。
たいした問題ではないどころか、知事を続けるほうが無理なほどの問題だと私は思います。 ■もし斎藤氏が謝っていたら では斎藤氏が当初から反省や謝罪を表明していれば、事態は変わったでしょうか? しかしながらそれは難しかっただろうと思います。 謝罪は危機対応、危機回避の手段として役立つことはありますが、限界があります。特に法律に反する行為については、謝罪で何とかなることはまずありません。 芸能人の不倫記者会見が良い例ですが、不倫自体は夫婦、家族間の問題であり、刑法に触れるものではありません。だからうまい謝罪ができた人はそのまま芸能活動を続けられています。