「謝罪で総理の職を手にした石破氏」と「絶対に謝らず失職した斎藤前兵庫県知事」を分けた命運ーー重要場面を左右する「謝罪」の肝
総裁選とは違うだろとツッコミが入るかもしれませんが、一般人において人生を左右する採用面接では、必要以上に謙遜してしまうのはあまり得だと言われません。 私も就活生や転職希望の社会人への面接指導では、できるだけポジティブに自分の強みや優位性をしっかりアピールすることを勧めます。相手が外資系企業などであれば、ウソこそつかないものの、膨らませた表現は普通だからです。 しかしポジティブアピールは、日本人的メンタリティから見るとリスクもあります。謙譲の姿勢は日本の伝統的美徳であって、自分で自分を褒めるようなずうずうしい態度は、そうした保守的な感覚からは疎まれるか、少なくとも積極的な理解や支持を得られない可能性があります。
保守を代表する政党において、「お詫びを申し上げます」と言った石破氏。身内にも厳しい正論を是とする人の、いわばツンデレのような謝罪スピーチには評価する声が上がり、結果として新総裁に選ばれたこととは無関係とは言えないでしょう。 政治はそんな単純な思いや感情だけで動くものではないのかもしれません。しかし義理人情やメンツ、対面は何より大切だと考える人もいます。 石破氏の師匠でもある故・田中角栄元首相は義理人情を何よりも大切にしたという証言や評伝が多々あります。これは単にお金で派閥を大きくしたというより、人心掌握に長けていたことのほうが大きいということなのではないでしょうか。
同氏の秘書を務めた早坂茂三氏の著書などでも、いろいろエピソードが語られていますが、私は田中元首相が、お金以上に「メンツ」を重視した姿勢にとても興味を惹かれます。 お金以上に、「その人」の存在を尊重すること。資金援助するときは渡すほうが土下座をしてお渡ししろという気配り。人間心理の機微をよく突いたものだと思います。 古来歴史上でも、単なる経済的メリットだけでなく、メンツや尊厳を大切にして味方を増やしたリーダーと、逆に部下たちに援助を与えてもそれを生かせず、離反されたリーダーがいます。