古今東西の「バディ作品」を読み解き、リアルな恋人や夫婦の関係をアップデートしよう!
――バディについて書いていくうちに、だんだん"特別なふたり組"を見つける楽しさに目覚めていったわけですよね。バディに注目して作品を見ると、どのような視点を得られますか。 トミヤマ 私は「読み筋」という言い方をするんですが、バディを発見できると、その物語の読み筋が増えるんですよね。 話題になったNHKの連続テレビ小説『虎に翼』だったら、基本的には主人公の寅子という女性の人生を追うことがメインです。加えて「この回は寅子と親友の花江の物語だな」と気づくと、別の読み筋が走り始めます。作品をより深く楽しめますし、発見があって面白いです。 ――「読み筋」って、わかりやすいですね。確かに私たちは、物語をいくつかのレイヤーで見ています。 トミヤマ 自分なりの読み筋を見つけるのは、作品に積極的に関わっていく方法なんですが、日本の国語教育では教わらないんですよね。バディを切り口にすると見つけやすいと思います。 最近の若い人たちは「恋愛はコスパが悪い」と言って興味を示さなかったりしますが、バディのことは大好きなんですよ。 その点でも『虎に翼』を書いた、脚本家の吉田恵里香さんはうまいですよね。「ここはラブになるのかな」と思うところが、男女バディのままだったりして。 バディにはいろいろな組み合わせや可能性があって、それを朝ドラの中で書いたことに意味があったと思います。本の刊行時期が遅かったら『虎に翼』の章を書いてました。 ――本では絵本も取り上げられていますが、『泣いた赤鬼』の赤鬼と青鬼はバディでしょうか。 トミヤマ バディには「持ちつ持たれつ」成分があるんですよね。相手のことを思って自分が嫌われ者になる青鬼の場合は無私の愛すぎて、ありがたいけれどバディといえるかどうか。すべてをささげるのは、バディとはまた違う関係だと思いますね。 例えば母親が赤ちゃんに愛情を注いだら、とても良いふたり組になるかもしれませんが、それはバディとはちょっと違う。 「離れ離れバディ」も可能なんですよ。私、大学時代を濃密に過ごして、今は数年に一度しか会わない、「ツレ」と呼んでいい女性がいるんです。「次に会ったらこの話をしよう」と思ったりして、いつも心の中にそのイマジナリーバディがいる感じです。 今の若い人たちだったらSNS上でのやりとりだけで、「ツレ感」がある友達をつくれるのかもしれない。今後、テクノロジーが進化していくと、新たなるバディが生まれるのかも。