「田舎暮らし」の断片(4完)──「地方で生活する」現実とそのディテール
病院が少ない方が長生きする?
さて、第3回の最後の方で触れたように、友枝さんは仲間たちと大型ペンションを買い取り、「若者をタダで泊める代わりに年老いた自分たちの世話をさせる」という「一石三鳥」の老後の計画を話してくれた。確かにそうした斬新なアイデアがなければ、少子高齢化が進む日本にあって、老後の医療問題は地方から深刻化していくであろう。 ところで、我が移住先の長野県は長寿日本一(平均寿命男80.88歳、女87.18歳)だが、一人あたりの老人医療費は全国で最も低く、平均在院日数も全国最短だという。病院の軒数、ベッド数ともに全国最低レベルで、「病院に行きたくても行けないので、個人で健康に気を使ったり病気予防をする人が多く、結果長寿になっている」などと、まことしやかに識者が週刊誌でコメントするほどだ。在宅死亡率も全国1位で、延命治療が最も行われていない県だともいうから、さもありなん、である。 僕の両親も8年前に東京から同じ長野県の軽井沢方面に移住した。父は3年前に癌でその地で亡くなったが、80歳近い母はまだまだ健在で、田舎暮らしを続けている。父は半年ほど自宅から車で45分ほどの総合病院へ入退院を何度か繰り返したが、「田舎だから」という理由で決定的に不利・不便なことは幸いにしてなかったと思う。ただ、先の「車」の話と関連するが、一人残った母が自分で車を運転できなくなった時には、山を一つ越えて一緒に住まなければならないと考えている(それが父の遺言でもあった)。 また、偶然か必然か、その父母の兄弟(つまり僕の叔父叔母)3人も、リタイア後に夫婦で八ヶ岳と軽井沢周辺で「田舎暮らし」を始めている。年老いて親類が近くにいるというのは、お互いに心強いことであろう。
「田舎」を選んだ本当の理由
実は母も僕も、父の仕事の関係などで、今の「田舎暮らし」をする前に海外の大都市や中小都市、国内の都会から地方都市、今の田舎まで、ありとあらゆる場所での生活を経験している。そんな母が今の田園風景の中にある小さな一軒家を「終の棲家(ついのすみか)」と呼び、できれば延命治療などせずに自宅で眠るように死にたいと言っている。そういう考え方ならば、長野県はゴールとして非常に良いチョイスだったと思う。 最後に、僕が「田舎暮らし」を選んだ最大の理由を書いておきたい。第1回の写真の何枚かに何げに写っているが、「犬」である。彼らがのびのびと暮らせる生活が第一だったし、これからも追求していきたい。だが、それについて語るスペースは残念ながら今回はもう残っていない。機会があればいつかまた、「犬との田舎暮らし」に特化したストーリーを掘り下げていきたい。 ・連載『田舎暮らし』の断片…全4回