「田舎暮らし」の断片(4完)──「地方で生活する」現実とそのディテール
未来の森を「想像して」
第3回で話をうかがった“八ヶ岳田舎暮らし仕様”の建築デザインをしている友枝康二郎さんも、そうした偏見と戦ってきた一人だ。友枝さんは、土地の紹介と家のデザインを通じて「田舎暮らし」の実現を支援しているが、そのデザインワークには、家の採光や眺望に影響する敷地内の伐採も含まれている。周囲の環境の中核となる木や、その土地のシンボルとなるような木を残して余分な木を切っていくのだが、最初の頃は一部の古参の「移住民」らから、それを批判されることもあったという。 「うちの別荘地もそうですが、日本の山の多くは戦後70年でちょうど切らなければいけない時期に来ている。鬱蒼(うっそう)とした森を整理していけば、日差しが入って下から色々な植物が生えてくる。それは大きく森の活性化につながるんですが、『一切木を切ってはいかん。自然破壊だ』という人もいます」。ただ、八ヶ岳エリアでも近年、台風で木が倒れたり、ゲリラ豪雨で土砂災害が起きたりといったことが続き、それを目の当たりにして考えを変える人も増えているという。 友枝さんが続ける。「カラマツなどを切った後には広葉樹を植えます。少しずつ豊かな森に変わっていけばいい。『その新しい森ができる前に俺は死んでしまう』と言われたこともありますが、それはお年寄りだけでなく、皆同じですよね。そうではなくて、『未来を想像してごらん』と」。
車は「一人1台」の世界
次に、前3回で触れてこなかった大事な「現実」の一つ、「車」の問題を考えてみたい。あらためてここで書くまでもないが、よほど例外的なケースでない限り、「田舎暮らし」に自家用車は必須である。それも、一家に1台ではなく「大人一人に1台」のレベルでだ。当然ながら、これは車なしの都会生活に対してコストアップの部分である。 日本は二重三重に課税される世界一高い自動車関連の税金に加え、割高な車検システム、保険、狭隘(きょうあい)な道路事情と、自動車生産国でありながら自国民が自動車を所有しにくいという、極めてユニークな社会である。だから、都会育ちの人はペーパードライバーが多いし、そもそも免許を持っていない人もかなりいる。僕の妻や第2回で現代の「理想の妻」ぶりを発揮してくれた中村奈帆子さんも、ここに来るまではペーパードライバーだった。 幸い、奈帆子さんはまだ事故の経験はないとのことだが、妻は3年で2回やってしまっている(けが人は出ていないが……)。運転自体への慣れもそうだが、雪道、山道、真っ暗な夜道、動物の飛び出しなど、都会にはない危険もいっぱいだ。若いころから地方でも都会でも車を運転する機会が多く、運転手系のアルバイトの経験もある僕が自信を持って警告しておく。「田舎に来て毎日運転していたら、慣れていても必ず一度や二度は事故る」と。 それを置いても、「車」は予算面だけでも十分に「田舎暮らし」の障壁となりうる要素だと思う。「地方創生」を言うのであれば、ただでさえ「自動車離れ」が言われる若い世代を呼びこむためにも、自家用車の必要度に応じた地域別の税金の優遇制度くらいはあってもいいのではないか。ちなみに「1800cc・180万円の新車を11年間使用」の場合、日本では自動車税・重量税・取得税だけで約65万円の維持費がかかるらしい。これは、ドイツの約4倍、フランスの約16倍、アメリカの約50倍だとされている。