クィアパルム受賞『ジョイランド』が描く家父長制の苦しみ。「男性に必ず幸福をもたらすわけではない」
ハイダルのセクシュアリティについて 「彼自身が理解しておらず混乱している」
―ハイダルのセクシュアリティについて、この映画のなかでは明示されませんね。 サーディク:彼は自分自身を理解しようとしている最中にあります。自分がビバに惹かれているかはわかるけど、なぜそう思うのかよくわかっていません。それは自身のセクシュアリティを把握する非常に初期の段階です。 セクシュアリティに関する会話は「ラベル付け」が中心となっていますよね。もちろんあらゆる人を受け入れる人はいますが、そのなかにはゲイやレズビアン、トランスジェンダーといった自分が認識しているラベルに属する人だけを受け入れ、どのラベルに該当するかわからない人相手だとと混乱してしまう人もいます。 本作では、自分自身をまだ理解していない人物を中心に物語を展開することがとても興味深いと思ったんです。ビバは、自分が男性に惹かれるトランスジェンダーの女性であり、人生で何を望んでいるかを理解しています。ほかの人々も同様で、自分が何者でありどうなりたいのかをわかっています。 そんななか、ハイダルだけは自分が何が好きか、それはどうしてか、彼自身どうなりたいかを理解しておらず混乱しています。そんな状態であるために、彼はほかの人から受け入れられないのです。
ムムターズの自死 「彼女には最後の権利が残されていた」
―ハイダルがセクシュアリティを隠して家庭を築いた結果、家父長制に押しつぶされたムムターズが自死につながる悲劇的な連鎖反応が描かれていました。男児を妊娠した身体としてしか重宝されないムムターズの一種の復讐だったのでしょうか? サーディク:このシーンについてはいろんなことを考えましたが、復讐ということは意図していません。その決断はある意味で反抗とも言えますが、彼女が持っていた権利を行使しただけなのです。 彼女は働く権利だけでなく、健全な結婚生活を送る権利、子供を産まないという権利さえも奪われていました。でも、彼女にはまだ生きるか死ぬかを決める最後の権利が残されていました。彼女は今後の人生に、生きる理由となる素晴らしい出来事が残されているとは思えなかった。彼女が自分の人生に生きがいを見いだせないと判断したのなら、そこから脱出するという決断を下すことが間違っているとは思えません。 もちろん彼女にとってはつらいことです。妊娠中ですし、自死は簡単な選択ではありません。でも彼女は最終的に、他者や神のためではなく自分自身への優しさからその決断をしたのです。 ―おそらくこの物語で語られているような、セクシュアリティを隠し、心理的な負担を感じながら家庭を築いている人は世界中に大勢いると思います。そんな人々からも反応が寄せられたのでは。 サーディク:それはありませんでした。そういった人々はセクシュアリティを隠して生きていますから、たとえ共感したとしてもまわりの環境によってそれを認めることは難しいのでしょう。一方で私にはゲイやバイセクシャルの友人がいますが、彼らからは多くの反応を得ました。彼らの多くは女性と結婚していましたが、時間とともに自分のセクシュアリティに気付き、カミングアウトして結婚生活を終わらせました。 その後、ありのままの自分を受け入れ、アイデンティティを取り戻したんです。彼らはこの映画にとても感動し、自分の気持ちを代弁してくれたように感じてくれました。しかし、彼らが自分らしく生きるという決断は、場合によっては相手の女性を深く傷つけるかもしれないということを突きつけられ、罪悪感に駆られたとも言われました。社会の状況や環境が影響している側面もあると思いますが、この気付きもまた重要なことであると感じます。
インタビュー・テキスト by ISO / 編集 by 生田綾