クィアパルム受賞『ジョイランド』が描く家父長制の苦しみ。「男性に必ず幸福をもたらすわけではない」
女性の性欲、子供を求めず働く女性。さまざまな女性を描いた理由
―ハイダル、ムムターズ、ビバの関係や葛藤をどのように探求していったのでしょうか? サーディク:彼らの関係は、これまでの人生で経験したり周囲から見聞きしてきた人間関係をベースにしつつ、想像力を膨らませながら構築していきました。ハイダルとムムターズの夫婦の関係というのは深い友情であり、プラトニックな深い愛情でもあります。 しかしその関係のなかで、ハイダルは仕事へと出かけ、ムムターズには家に取り残されることによる嫉妬心が生まれ、またビバとの恋愛という裏切り、罪悪感といった負の感情も芽生えていきます。「このプロットならこういう関係だろう」と特定のかたちに無理矢理押し込めることをせず、彼らの人物像や関係を現実にあるものとして息づかせることを意識してつくりあげていきました。 ―(煙草を吸う監督を見て)伝統に従いながら生きるヌチが密かに煙草を吸っている姿が印象的でしたね。 サーディク:伝統に従って家事や育児をこなし、それでいて幸せそうなヌチが煙草を吸うのは面白いですよね。喫煙は彼女の秘密のひとつですが、秘密にすることで彼女はワクワクする楽しいことをしている気分を味わっています。 単なるニコチンの摂取ではなく、喜びを見出す意味ある行為なんです。パキスタンでは多くの女性が煙草を吸っていて、それをオープンにしている人もいれば秘密にしている人もいます。本作では男性が喫煙していない一方、女性が喫煙している姿を入れるのが面白いと思いました。 ―この作品ではトランスジェンダーのみならず、女性の性欲や、子供を求めず働く女性像、年配女性の恋心と孤独など、従来あまり描かれてこなかった女性の姿が描かれていたように思います。そこには女性の姿を覆い隠すことなく率直に描こうという意図があったのでしょうか? サーディク:これまで映画やTVでは、男性に焦点を当てた作品が男性によってつくられてきましたが、そこでは女性やトランスジェンダー、そのほかのあらゆるマイノリティの描写がいつも一面的でした。 だから女性やトランスジェンダーはみんな同じだというような偏見に満ちた見方をする人が多いのだと思います。もしかするとこの映画を観た人も、ビバがトランスコミュニティ全体を代表する人物としてとらえ、皆が彼女のように野心家で気の利いたことを言うと考えるかもしれません。 この映画でビバは威張るような態度を見せますが、私はその部分が気に入っています。というのも、これまでトランスジェンダーのキャラクターはとても弱々しく、愛らしく、親切なイメージばかりで描かれてきました。でも、当たり前ですがそんな人ばかりではありません。それはどんな属性においても当てはまります。これまで男性がそう描かれてきたように、この映画ではビバもさまざまな面を持つ人物として描きたかったのです。 サーディク:それは女性においても同様です。私は女性たちが家父長制に対し、それぞれ異なる反応を示す様子を描きたいと考えました。ある女性は周囲からの期待にうまく適応し折り合いをつけることができますが、当然すべての女性にそれがあてはまるわけではありません。 特定の状況を受け入れる人もいれば、納得できず逆らう人もいて、対処できない人もいます。たとえば子供を望まない人もいれば、貧しくとも子供がほしいという人もいたりと、人それぞれです。この作品では、その違いを表現することが非常に重要だと思いました。 ―パキスタンではトランスジェンダー法が法制化されているにもかかわらずヘイトクライムが起きている状況だとうかがいました。それはなぜなのでしょうか? サーディク:パキスタンではトランスジェンダーの権利を求める運動がまだ初期段階にあるためだと思います。もちろん以前からトランスジェンダーの人々は存在していましたが、これまで彼らは自分たちの権利を強く要求していませんでした。しかし彼らは仕事やメディア、教育や日常生活などさまざまな面で平等な機会と社会参加を望んでいます。そして昨今、各方面から上がる要望がある種のグループとしてまとまり、政治的な代表者も生まれ、声を上げられる状況へと変化していきました。 右翼はそれを「自分たちが闘うべきもの」だと意識しはじめます。そして虐げられてきた人々がいまこそ行動を起こすべきだという機運が高まったときに、激しいバックラッシュが起こるのです。 残念なことですが、歴史や世界の動きを鑑みるとそれは避けては通れない道だと思います。重要なのは対立や衝突を乗り越えていくこと。そうして物事を前進させていくしかないのです。