「書いてはならない」にどう立ち向かうか? 「書けなさ」について考える【後編】
野蛮であることは百も承知で…
そこで思い出されるのが(やっぱりか、と思う方も多いでしょうが)、ドイツの哲学者/社会学者テオドール・W・アドルノによる、あまりにも有名な一文です。 アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮である。 第二次世界大戦の終戦から4年後、1949年に書かれた論文「文化批判と社会」の一節です(『プリズメン』という論集の冒頭に収録されています)。ウィトゲンシュタインと同じく、ここだけが「ひとり歩き」して有名ですが、このあとは「そしてそのことがまた、今日詩を書くことが不可能になった理由を語りだす認識を侵食する」(渡辺祐邦、三原弟平訳)と続きます。 もちろんアウシュヴィッツの後も、アドルノがこう述べた後も、詩は書かれているわけですが、アドルノはナチスがアウシュヴィッツ(やその他の強制収容所)で行ったこと=ホロコーストの極限的な悲劇性に対する「詩(文学・芸術)」の無力を、このような言い方で表現したわけです。ここで問われていることも、書くことと倫理の問題、そして書くことの倫理の問題です。 ホロコーストに直接間接にかかわった人々へのインタビュー(証言)から成る9時間を超えるドキュメンタリー映画の大作『SHOAH ショア』で知られるフランスの映画作家クロード・ランズマンは、ホロコーストのフィクション化、その「表象」を激烈に批判しました(ランズマンが最大の標的にしたのがスティーブン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』であったことは有名です)。 ランズマンが提起した問題は「表象不可能性」と呼ばれ、アドルノの先の言葉とともに、映画のみならず文学や芸術、歴史学や哲学などにも影響を及ぼしています。ランズマンは写真や映像による「記録(=表象)」さえ一蹴したので極端ですが、これも彼なりの「倫理」であったことは間違いない。しかしもちろん、アドルノ同様、ランズマンが何を言おうと、相変わらずナチスやヒトラーを題材にした映画は撮られ続けていますし、今や一大ジャンルになっていると言っても過言ではありません。 問題はアドルノやランズマンの「禁止」の当否をはかることではなく、間違いなく一定の正当性を備えている「禁止」を真摯に受け止めつつ、それでもなお書く、ということの意味です。 語ること、描くこと、書くことの「禁止」を忠実に守って沈黙を選ぶのでも、そんなことは意に介さずあっさりと「禁止」を破ってみせるのでもなく、「禁止」の底に横たわる「倫理」をしかと理解したうえで、それでも語ろうと/描こうと/書こうと試みること。いや、むしろ理解したからこそ語ること/描くこと/書くことを選ぶこと。 「語る/描く/書くことなどできない、それゆえに語っては/描いては/書いてはならない」なのか「語っては/描いては/書いてはならない、それゆえに語る/描く/書くことはできない」なのかはともかく、そんな「沈黙」への強力な牽引に何とかして抗って、それを語らなくては/描かなくては/書かなくてはならない、語れ/描け/書けなくてはならない。たとえ結果として、やはりそれを出来たことにはならないのだとしても、それでもやってみなくてはならない。 そして実際、少なからぬ文学者や芸術家たちが「語りえぬもの」や「表象不可能性」や「書いてはならない」に果敢に挑んできました。映画でいえば、ハンガリー出身のネメシュ・ラースロー監督の『サウルの息子』(2015年)や、イギリスのジョナサン・グレイザー監督の『関心領域』(2023年)は、そのような「挑戦」の近年の最良の成果です。アドルノをもじって言えば、アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮である。それでも、野蛮であることは百も承知で、他ならぬアウシュヴィッツの「詩」を書かなくてはならない、そういうことなのだと思います。 このことに限らず、こんにち「書くこと」をめぐる「倫理」の問題は、ますます重要さ、深刻さを増しています。このことには本講義の最後に、ふたたび立ち返ることになるでしょう。