ガンダムも巨人の星もキングダムも「杉並」生まれ…制作会社数が全国ダントツ、「アニメの街」となった秘密
次々とヒット作が生まれ、海外でも高い評価を受ける日本のアニメ。そんなアニメの多くが、東京都杉並区で作られてきたのをご存じだろうか。制作会社の数はなんと日本一。杉並が「アニメの街」となった秘密を探った。(松下聖) 【写真】1980年の販売開始以来初「ガンプラ」値上げへ
「巨人の星」「アタックNo.1」「ルパン三世」「天才バカボン」といった往年の名作から、「君の名は。」「キングダム」「ラブライブ!」など近年のヒット作まで。これらは全て、杉並区に所在するアニメ制作会社によって作り出された。
一般社団法人「日本動画協会」の2020年の調査では、区内に本社を構えるアニメ制作会社は149社と全国で最多だ。2位は練馬区(103社)、3位は渋谷区(52社)で、上位を占める都勢の中でも群を抜く多さになっている。
そのきっかけを作ったと業界関係者が指摘するのが、「東京ムービー」の存在だ。
1964年、西新宿から現在の杉並区成田東に移ってきた同社は、冒頭に挙げた4作品を含む数々のヒット作を手がけてきた。
アニメ制作の現場は分業制だ。東京ムービーがレギュラー放送のアニメを何本も制作するようになると、周囲には業務を受注する制作会社が次々と誕生していった。会社だけでなく、そこで働くアニメーターたちも、多忙なスケジュールに対応できるようJR中央線や西武線沿いに自宅を構える人が増えていったという。
東京ムービー出身で、今は「東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアム」(杉並区上荻)で館長を務める吉田力雄さん(70)は「静かな住宅街だった杉並は制作に向いていた」と振り返る。
当時はアニメーターが作った原画やセル画を車で回収していたため、渋滞を回避することが仕事の上で重要なポイントだった。そうした業界の仕組みも、都心から離れた杉並にアニメ作りの拠点が築かれていった背景にあったという。吉田さんは「締め切りに追われて大変だったけど、クリエイティブで面白い毎日だった」と懐かしむ。