「梅酒は店で買うのが当たり前になる」 販売から15年、倒産寸前の「チョーヤ」を救った時代の転換 市場競争を勝ち抜いた本物の味
『梅酒で成功しなければ人生を諦めろ!』背水の陣で挑み、奮起する息子たち
住太郎は『うちがこの先生き残るには、梅酒しかない。成功しなければ、人生を諦めろ!』と、先祖代々の田畑を売り払い退路を断ちます。背水の陣で挑む梅酒製造。息子たちも覚悟を決めました。 こうして1959年に世界最高品質を誇る日本の梅を使用した、蝶矢「本格梅酒」が誕生し、新たなスタートを切ります。
逆風だらけの船出!梅酒は「家で作る物」だった時代。さらなる追い討ちをかたけのは...
しかし、茨の道はここからでした。父の後を継いだ息子たちは、完成した梅酒の取引先を必死で探しまわりますが…当時、梅酒は「家で作るモノ」だった時代。「わざわざ買う客はいない」と、ほとんどの酒店に断られます。挙句の果てには社員からも梅酒製造への不満が続出する始末。しかし、2代目社長・和夫は「味噌も醤油も昔は家で作るのが当たり前だったのが、今は店で買うのが当たり前になった。梅酒もいつか買う時代が必ず来る」と信じ続けます。 そんな中、さらなる追い打ちが…1962年に酒税法が改正され、実は違法だった家庭での梅酒作りが公に認められることになります。こうして空前の「ホームリカーブーム」が到来しました。1970年には恐れていたワインの輸入自由化も始まり、梅酒は売れないまま10年が経過してしまいます。絶体絶命の状況…しかし梅酒に人生を賭けると決めた和夫は諦めませんでした。
「ホームリカーブーム」にワインの輸入自由化。会社存続の危機に決断した攻めの作戦とは!?
会社存続の危機…ここで社長の和夫は一つの決断をします。それは、「会社が潰れるまで梅酒のコマーシャルを打ち続ける」という攻めの作戦。まずは梅酒が買えることを認知させるべく、中小企業では考えられないほどの巨額を投入しCM制作を開始しました。1972年に初めて放映されたCMには社名の「蝶」矢にかけて、人気漫才師・ミヤコ蝶々さんを起用します。 結果は返品の嵐…。ワインや飲料の売り上げを全てを全て梅酒の広告につぎ込んだため、会社の経営はさらに苦しい状態が続きます。それでも「広告は辞めないことが基本だ」という和夫に社員の不満は爆発し退社する者が続出。それでも和夫は決して信念を曲げませんでした。 歴代の社長は「世界中に梅酒を売りたい」と常々社員に語っていたそうです。和夫はそのビジョンを諦めませんでした。チョーヤが掲げるキャッチコピー「どどけ、梅のちから。」これは、切なる思いから生まれた言葉なのです。