自転車で巡った能登半島 "復旧"すらままならない現地のリアル
「10個のため池を使って田んぼに水を回していたんだが、元日の地震で田んぼに亀裂が入って、水を入れてもたまらなくなった。30町歩(ちょうぶ・9万坪)ぐらいあったんだが、来年も田んぼはできそうにない」 酷な現実だ。ところがそんな状況でも、久田さんの奥さんは当たり前のように「ごはんだけでも食べていきなさい」と言うのである。遠慮したが、奥能登には優しい人が多いと実感する。 輪島市滝又町で暮らしていた71歳の中(なか)竜夫さんは、震災で約5町歩(約1万5000坪)の田を失った。 「これまでは、農業で年300万円の収入があったけど、それがゼロになった。米はいつできるかわからんから、秋には麦を植えてみようと思う」 一方、世界農業遺産に認定された棚田「白米千枚田」は、クラウドファンディングで集めた資金とボランティアの活躍で「1004枚中120枚」の田を復旧し、当地のわせ種・ノトヒカリの田植えに間に合わせることができた。しかし、ここも今度の水害で大きなダメージを受けた。 ■がんばる飲食店 輪島市内、宿の近くのファミリーマートは夕方4時に閉店する―そんな非日常的な暮らしが続く中、地域の人びとや業者、旅行者に喜びをもたらすのはおいしい食事だ。感謝を込めて、1店紹介する。 珠洲市飯田(いいだ)町の「ろばた焼あさ井」には「震災で産まれた具だくさんスープ」というメニューがある。白菜、シメジ、ネギ、ニンジン、大根、豚肉などがゴロゴロ詰まって300円。店長の浅井誠さんに由来を尋ねた。 「元日の地震間もない頃、NPO法人の方々の滞在用にお座敷を開放していました。その間、仕入れできる食材は限られていましたが、栄養だけは取ってもらいたいと思って作ったメニューがこれです。それを商品化したんです」 この店は、地域でいち早く営業を再開した。若い男女の従業員がにぎやかに働いている。 一方、ショックから立ち直れない観光業者もいる。珠洲市で泊まった「灯りの宿 まつだ荘」は、ヒバのお風呂といい、手作り行灯(あんどん)などの調度品といい、こだわりに満ちた宿で、何より主人の松田恭造さんが「泊まりのお客さんで年間3000食、日帰りで800食、ほとんど自分が担当していた」という食事が売りだ。 だが残念なことに、いまは素泊まりのみで、食事の再開時期は未定となっている。松田さんは「もうそんな力ないわ」と苦笑する。妻の由美子さんが申し訳なさそうに言葉を添えた。