「15勝して30本打ったらMVPクラスですよ」大谷翔平がエンゼルス時代に語っていたMVPのイメージ「不可能なことに挑戦している気持ちはないですね」
ムダな練習だとわかったことがプラス?
ーー軸足に体重を乗せられなかったのは、今思えばヒザに痛みが残っていたからなのか、痛かったときに庇っていたクセが残っていたからなのか、そこはどうでしょう。 「クセが残っていたというのはあったかもしれません。痛くはないけど庇いたくなるのは手術明けの難しさかなと思います。手術明けって楽なほうへ流されてしまうせいか、いくら練習してもうまくならなかったし、状態も上がってこなかった。それをムダな練習だとは言いませんけど......いや、それがムダな練習だったとわかったことがむしろプラスだったのかもしれません」 ーーえっ、ムダな練習だった? 「そうですね......庇うクセが残ったままの練習ではいくらやっても効果が上がらないし、試合で結果が出ないことに向き合わなければそこに気づけなかったと思います」 ーーこのオフには、ドライブライン(シアトル郊外のトレーニング施設)へも足を運んだんですよね。 「スイングの測定をしてもらったんですけど、そこで出た数値を見て言われたのが『腕の力で振っている』ということでした。左足で蹴れていない分、体幹を使い切れていなかったんでしょうね。それでもスイングスピードが落ちないのは手の力が強いからで、そこが僕のいいところでもあり、悪いところでもある。最初、その数値を見たときには、単純に自分の特徴として腕が強い、だから腕が早く出ちゃうと思ったんですけど、それまでに自分で感じていたことも考え合わせると、軸足に乗せ切れていなかったから腕に頼っていたのかな」
「自分さえうまくなれば、という世界じゃない」
ーーファイターズ時代は、4年目に二刀流として結果を残しました。今年、メジャー4年目を迎えてみて、フルシーズンを万全な状態で過ごせれば投打ともに数字が残るという手応えはお持ちですか。 「日本の4年目は徐々に慣れていって、自分がうまくなった分、結果が残ったという感じでした。でもメジャーは毎年、相手が変化していく難しさがあるんです」 ーー変化、というのは? 「日本ではまず自分が一番下にいて、先輩の顔ぶれがほぼ変わらない中、自分がよくなっていく感覚でした。でもメジャーでは、急激に良くなったという選手が次から次へと出てくるじゃないですか。そういう若いプロスペクトにつられてスター選手もどんどん凄くなる。トップレベルの顔ぶれがあっという間に入れ替わるので、自分さえうまくなれば、という世界じゃないんです」 ーー自分と同じか、もっと早いスピードで周りも進化しているイメージなのかな。 「だからついてくる結果が想像しにくいところはあります。それでもピッチングもバッティングも、自分の力を出し切れたときには数字も残ると1年目に思いました。出し切ったときにできるし、自分の力を出せなかったときには絶対にごまかせない。結果を出すための第一歩は1年間、健康で、しっかりと自分の力を出し切るところなんだろうなと思っています」 ーー二刀流をメジャーでやっていけるという手応えについてはいかがですか。 「スケジュールを理解して、慣れて、その中でうまく回せるサイクルを作れるかどうかによると思います。投げる前日は気持ちを作らないといけないので休養は必要かなと思いますが、いったん(二刀流の)サイクルの中に入ってしまえば、同じ流れで1週間、それをそのまま1年間、継続するだけの話ですからね。まずはそのサイクルに入っていけるだけの実力を見せていくことが一番かなと思います。選手としては『全試合出てくれ』と言われたいですし、ただ登板前日だけは気持ちを作るために休んで、1年間ローテーションを守って、バッターとしては残りの試合に全部出られれば、それが理想です」
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