400本塁打超えの強打者がポツリと言った「基本的にバッティングは嫌いなんです」・中村紀洋さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(45)
04年の球界再編がなければ、アメリカには行ってないですね。近鉄があれば、ずーっと近鉄です。でも、トップ同士の話で再編になり、ファンの気持ちを考えた時に、どっちを応援するのと。再編チームには今まで敵のチームで頑張ってた人がいる。これはおかしいやろって。僕はオリックスに決まってた。でも、誰か一人でも反旗を翻さなあかんのちゃうかなと思って。これはもう悪者でいいから、言うことは聞きませんと。2年間ぐらい修行してきますって話してアメリカに行ったんです。別に僕はメジャーに興味はなかった。FA宣言をした時に、近鉄に骨をうずめようと思ってたんですよね。ところがどっこいですよ。 僕の野球って楽しいから始まってるんですよね。でも、4番を打って仕事に変わってる部分があったんです。そこでアメリカに行った時に野球の楽しさを学べた。それまでは本当にやらされてる感があったんです。向こうに行くと、自分でやらない限りは誰も認めてくれない。すぐ契約打ち切りになってしまう。築くっていうことをすごく学んだ。やっぱり好きじゃないとできないなと。自分なりに昔の映像を基に、いろんなことを試せた1年。バッティングをもう一度探るというか、試行錯誤できました。原点に戻れた時間が05年です。
アメリカでの唯一の功績はドジャースの本拠地開幕戦で、スタメンで出たっていうこと。あの雰囲気は今でも覚えてます。(セレモニーで)戦闘機がドジャースタジアムのセンター後方から、ぐわーって飛んで来るんですよ。いや、これはすごいな、日本にはないなと思った。 帰国して、オリックスの後で中日に行った時に、もうホームランは要らんと思ったんですよ。落合博満監督に動いていただいて育成枠で入らせてもらった。まず勝たなくちゃいけない。邪魔したらあかんと。打つやつはいっぱいおる。今までの4番の感覚、打たなくちゃ負けるという視点が、もうゼロなんですよ。だからホームランに全く興味がなかったです。走者がいたら、かえすか、もしくはカウントが不利になったら次の塁に進めていく。そして次の打者に任せたらいいやって。それで日本一になってMVPが取れた。ドラゴンズ時代は財産というか、自分の野球にとって、すごく次に生きる2年間だったです。強いチームで野球をできた。弱い野球も分かってる。どうしたら弱くなるか、強くなるためにどうしたらいいかを、ドラゴンズで分からせてもらいました。