「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で菅田将暉が屈辱の涙…その時、父がかけた前向きなひと言
● 未来のスター俳優が味わった 「ジュノン」コンテストでの挫折 「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」は、すでに芸能事務所に所属している子は応募できない決まりです。前回のオーディションの後、音楽事務所に入らず勉強にシフトしたことによって、またこのチャンスが巡ってきたわけです。 コンテストの面接を受けると、大将はどんどん予選を通過していきました。大阪からのエントリーは全国で一番多いので、かなりの激戦区だったはずです。ベスト30、ベスト20、ついにベスト10まで勝ち残りました。ジュノンに写真も掲載され、いよいよ最終審査です。 審査の前日、私も妻と弟たちを連れて東京へ向かいました。私が仕事用に借りている1LDKのマンションに家族全員で雑魚寝しました。当日は、会場での発表直前に、フジテレビアナウンサーの軽部真一さんから夫婦でインタビューを受けたのを覚えています。 最後はパフォーマンスでアピールします。大将はダンスを披露しました。しかし、結果は落選でした。その頃はジュノンボーイ・コンテストの最盛期で、全国から1万6000人を超えるイケメン揃いの応募者がいました。 優勝者は身長185cmの高校3年生で、準優勝も181cmで同じく高校3年生の、2人とも凄くカッコイイ男の子でした。 実際のところこの最終審査の時点で、各芸能事務所の審査員は自分の事務所へ入れる子を決めていたようで、その子のパフォーマンスが終わると帰ってしまいます。大将の出番は一番最後で、パフォーマンスを見てくれた芸能プロダクション関係者はごくわずかでした。最終審査に残った13人中、10人にはなんらかの賞が与えられるのですが、大将にはなにもありませんでした。全てが終わって楽屋に行くと、本人は半泣きでした。コンテストでみんなと仲良くなって、自分だけ声がかからなくてさぞかし悔しかったに違いありません。 「お疲れ。よし、次のステップへ進もう!」 私はいつもより大きな声をかけ、大将の肩を抱いて励ましました。会場を後にしながら、私の心はもう決まっていました。
菅生 新