この水に100万市民の命がかかっていた…ローマ帝国の水道「驚愕の精密さ」
供給システムのしくみ
水源地からローマ市内に運ばれた水は、街角にある公共の水汲み場の貯水槽や泉へと分配された。一般市民はここへ水を汲みに行ったが、特別の許可を得るか賄賂(わいろ)を払うことによって、最寄りの貯水槽や水道管から自宅まで、ポンプを通して水を引いていた“高官”もいた。 ポンペイの遺跡からは、現代のものとまったく変わらないような青銅製の水道バルブが発掘されている。各所にこのようなバルブを取りつけて、水道管内の水流を調節していたのである。 古代ローマの建築家・ウィトゥルウィウスは『建築書』第8書で、ローマ市内の給水状況について ---------- 城壁まで来た時、貯水塔(給水槽)とそれに接続して水を受入れるための三重の引込み槽(共同水槽)が造られ、貯水塔には等しく配分された三本の管が、水が両端の槽から溢れた時は中央の槽に戻るように接続された水槽の中に、配置される。こうして、中央の槽にはあらゆる貯水池と噴水へ、他の槽からは市民から税が毎年取れるように浴場へ、第三槽からは公共用に不足を来さないようにして私人の邸宅へ、それぞれ管が敷設される ---------- と書いている(ウィトルーウィウス著、森田慶一訳註『ウィトルーウィウス建築書』、東海大学出版会、1969)。
鉛管にまさる「陶管」
水道管に用いられたのは、主に鉛管であった。近代国家でも長らく鉛製の水道管が使われていたが、鉛が水中に溶け出すことで水を飲んだ人が鉛中毒にかかる危険性があるため、現在は新規に使われることはなくなっている。ローマ時代、鉛中毒の心配はなかったのだろうか。 実際に、ローマ帝国滅亡の一因としてローマ人の鉛中毒を挙げる説があるくらいだが、地中海地方、一般にヨーロッパ大陸の水はかなりの硬水であり、水に含まれる炭酸カルシウムが管内部にすぐに付着(コーティング)することで水道水が直接、鉛管に触れることはなかったから、健康上の大きな問題にはいたらなかったと推測される。つまり、「ローマ帝国滅亡の鉛中毒説」は俗説と思われる。 それでも、ウィトゥルウィウスは『建築書』の中で、鉛管よりも清浄な水を供給でき、修繕も容易な陶製の水道管のほうが好ましいと指摘している。もちろん、そのとおりである。 前述のように、現在は鉛管が新規の水道管に用いられることはなく、旧来の鉛管の、他の材料の管への取り替えが必要視されてはいるが、費用の問題でなかなか進んでいないのが現状である。近代の水道工事担当者がウィトゥルウィウスの『建築書』をきちんと読んでいれば、と悔やまれる。