この水に100万市民の命がかかっていた…ローマ帝国の水道「驚愕の精密さ」
巧妙な送水のしくみ
水源地はいずれもローマ市より高地にあり、送水は完全に重力による自由落下に頼っているから、非常に効率よく大量の水を運ぶことができた(図「水道橋の建設」のa)。しかし、水源地からローマ市内までの数十キロメートルの遠距離をわずかな勾配を保持しつつ導水路を建設するには、高度な測量技術、土木技術が要求された。 導水路は平地の上に建設されるのではない。渓谷や窪地にはわずかな勾配を保持しつつ水道橋を架設(かせつ)し(同図b)、上水を目的地まで運ばなければならない。そのためには、同図cに示すような水準器(ファインダー)を用いた正確な測量が必要だった。 実際、ローマ水道は非常に精巧に、厳密な許容誤差内で建設された。通常規格で1キロメートルあたり34センチメートルの傾斜とされた。前出の「ローマ水道11ルート一覧」に示される最長91キロメートルのマルキア水道の場合でも、標高差はわずか31メートルである。最短17キロメートルのアッピア水道の場合は、標高差は6メートルに満たない。 これらの水道を介してローマ市内に集められた上水は、1日あたり少なくとも100万立方メートルに達した。現在、東京都水道局が管理している浄水場は11ヵ所あり、それらから1000万人の都民に供給されている上水は1日あたり684万立方メートルである。 古代ローマの市民人口については諸説あるが、紀元元年前後で100万人ほどと考えられている。およそ2000年前のローマ水道の供給量の大きさが実感できるだろう。
欧州各地に建設された水道
ローマ人は、当時のローマ帝国内にあった現在のフランスやドイツ、イスラエル、スペインなどの大都市にも水道を建設した。いまでも、多くの場所でその遺跡が見られるが、とりわけ有名で、世界文化遺産にも登録されているのがフランス南部のガルドン川に架かる水道橋「ポン・デュ・ガール」である。 この水道橋は、ユゼスからニームまでの全長約50キロメートルの導水路の途中にあり、紀元前19年頃、皇帝アウグストゥスの腹心だったアグリッパによって架設されたといわれている。 全長50キロメートルの平均勾配は1キロメートルあたり24.6センチメートルで、全標高差は約12メートル、上記のローマ規格よりやや緩和されている。それは、部材や工事量を減らすため、この水道橋の高さをできる限り低くしようとしたためである。流水量は1日あたり約2万立方メートルだった。 ポン・デュ・ガールは、じつに美しい三重のアーチ橋である。 3層のアーケードの幅は、下層が6メートル、中層が4メートル、上層は3メートルというように上にいくほど細くなっており、全体の高さはガルドン川の最低水位から49メートルである。下層は6つのアーチからなり、長さ142メートル、高さ22メートル、中層は11のアーチからなり、長さ242メートル、高さ20メートル、導水路がある上層は35のアーチからなり、長さ275メートル、高さ7メートルである。 19世紀には、ナポレオン3世の命令で改修されたといわれる。 このポン・デュ・ガールの美しさは、それを見た18世紀の思想家・ルソーに「この3層からなる素晴らしい建造物の上を歩き回ったが、敬意からほとんど足を踏めないほどであった。自分をまったく卑小なものと思いながらも、何か魂を高揚させてくれるものを感じて、なぜローマ人に生まれなかったのかとつぶやいていたのだった」といわしめたほどである。