インタビュー 青波 杏『日月潭の朱い花』「語れない」をテーマに描く、女性同士の繋がりと植民地の歴史
植民地支配の歴史を知ること
――読み進めるうちに、台湾の歴史や民族のこともいろいろ見えてきます。 そうですね。作中、サチコが親しくしている同僚のおばあさんやひいおばあさんが出てきて少しだけファミリーヒストリーが語られますが、そうした台湾の戦後史も大きなテーマですね。 やはり日本では、小説作品の中で植民地支配の歴史が描かれることが少ない印象があります。でもアジアの近隣諸国にとっては植民地支配されたということは、かなり大きな歴史なわけです。そういうことをどのように書くのかはすごく意識しています。 ――一九四八年の朝鮮の済州島(チェジュド)四・三事件が言及される箇所もありますよね。朝鮮半島の歴史も、触れておきたかったことなんですね。 はい。日本では一九四五年の敗戦で全部終わったイメージがあるけれど、旧植民地では終わったどころか、その後もっとひどいことが起きている。それは間違いなく知ったほうがいい歴史だと思います。 ――それにしても、終盤にまさかサチコたちがナポリまで行くとは。 書きたいものを書くというのが基本だと思うので、そのあたりは好きに書きました。僕がイタリア好きというのもあるんですけれど(笑)、主人公たちがそういう環境に行くこと自体の楽しさもあるだろう、と。 ――サチコが空港を出た後で勧められて昼食を食べたお店も実際にあるんですか。 はい。あのポルケッタ屋さんはまだあると思います(笑)。 ――イタリアでクライマックスを迎えるのかと思ったら、そこからがまた怒濤の展開で。その中で、サチコの内面や、最初は距離のあったジュリとの関係が変化していくのも読みどころでした。 不思議なもので、自分で書いているのに二人の距離が生き物のように変わっていく感じでした。なのでそれは流れに任せました。 サチコに関しては、周りの人たちからすると一体どういうジェンダーアイデンティティを持っていて、セクシュアルオリエンテーションはどうなっているのかがあまり分からないと思います。それは本人も分かっていないということなんですね。最初のうちに彼女はレズビアンであるとかバイセクシュアルであるといった位置づけをすれば物語はシンプルにはなるんですが、今回はサチコ自体の分からなさを含めて書こうと思いました。 ――そうしたことも含め、非常に濃密な物語になりましたね。 一人称で書くには複雑な話だったかなと思っています。サラ・パレツキーのミステリのような翻訳文体の三人称寄りの一人称にしたんですが、三人称にしたほうがもっと書きやすかった気がします。 ――デビュー作も今作も海外が舞台ですが、そのほうが書きやすいのですか。 日本を舞台にしたほうが書きやすいと思うんですよね(笑)。今度「小説すばる」八月号に『日月潭の朱い花』のスピンオフ短篇が載るんですが、富山から始まって飯能(はんのう)に行く話です。ジュリが主人公で、『日月潭の朱い花』の後の話です。そっちは三人称で、書きやすかったです(笑)。 ――今後、長篇ではどんなものを書こうと思っていますか。 打ち合わせはこれからなんですが、次は北海道の話を書こうと思っています。 青波 杏 あおなみ・あん●1976年東京都生まれ。 京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。近代の遊廓における労働問題を専門とする女性史研究者。2022年、『楊花(ヤンファ)の歌』で第35回小説すばる新人賞を受賞。 [文]瀧井朝世(ライター) 1970年生まれ、東京都出身、慶應義塾大学文学部卒業。出版社勤務を経てライターに。WEB本の雑誌「作家の読書道」、文春オンライン「作家と90分」、『きらら』『週刊新潮』『anan』『CREA』などで作家インタビュー、書評、対談企画などを担当。2009年~2013年にTBS系「王様のブランチ」ブックコーナーに出演。2017年10月現在は同コーナーのブレーンを務める。 聞き手・構成=瀧井朝世/撮影=大槻志穂 協力:集英社 青春と読書 Book Bang編集部 新潮社
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