「海外にもチャンスがあると示したい」モンゴルで挑戦を続けるサッカー選手・槙本稔己が描く未来
サンフレッチェ広島U-12出身で、広島観音高では、全国ベスト16入りを果たした、広島育ちの槙本稔己。彼は現在、モンゴル・ナショナルプレミアリーグを代表する強豪チームの“ハーン・フンス・エルチムFC”でプレーを続けている。Jリーグ入りを目指し挑戦を続ける男が描く未来を聞いた。 【写真】サンフレッチェ広島の背番号27を着てプレーする、森保代表監督 ◆“違和感”から踏み出した、海外への第一歩 ―海外挑戦は、いつ、どんなことがきっかけで決意されたのですか? 「大学3年生の終わりに就活をしようと思って、説明会に行ったんですけど、『やりたいことがないのに、なんとなく働くのは違う』と、自分の中で違和感があり、進路を迷っていました。自分が通った、びわこ成蹊スポーツ大は、海外に挑戦する選手も多く、先輩たちの話を聞いているうちに、海外への魅力を感じ、自分も行こうと思いました」 ―これまで、フィンランド、アメリカ、モンゴルの3カ国でプレーされたかと思いますが、それぞれの良かったところ、苦労したところを教えてください。 「一番最初に行ったフィンランドは、初めての“海外”ということもあり、怖いイメージがあったのですが、すごくきれいなところでした。街も整備されていて、治安も良いところでしたね。人も優しかったので生活をする上で困ることはありませんでした。ただ、サッカーの面では、やはりヨーロッパなので、みんな身体能力が高く、その選手たちとプレーする中で結果が出なくて、今振り返ると“挫折”を経験しました。アメリカでは、監督コーチと僕のプレースタイルが合わなかったこと、また、練習環境なかったことが大変でした。人工芝のグラウンドで練習できるのが週1日あるかないかで、普段は雑草が生えたような公園での練習でした。その時は『何をしにここに来たんだろう……』と思うことが多かったです。その次に行ったモンゴルでは、自分自信、サッカーはすごく上手くできていて、チームも2位、自分としての結果を出すこともできました。逆に、私生活では苦労が多かったです(苦笑)。交通が整備されていなかったり、街も綺麗に管理されていなかったり……苦労が多かったです」 ―槙本選手がさまざまな国で苦労を重ねながらも挑戦を続ける原動力は? 「純粋にサッカーが好きな気持ちと、もっとサッカーが上手くなりたい気持ちですね。小学生みたいな気持ちでやってます(笑)」 ―槙本選手ご自身の最終的な目標は? 「J1でプレーすることです。ただ、無給でとはいかないので……自分の価値を認めてくれるチームでプレーしたいです」 ―『自分の価値を認めてくれるチーム』に、と価値基準が変わってきたのは、実際にプロとして生活を始めたことで思ったのでしょうか? 「25歳になって、周りの同い年は就職して、少しずつ昇給しはじめて……ということはやっぱり考えますね。また、僕自身がコーチングを受ける中で、“承認欲求が強い”ということに気付いたんです。現状日本でプレーするよりも、タイやインドネシアなど、何万人の規模の方たちに見てもらえる、評価してもらえる環境で自分の価値を認めてくれた方が自分に合っているのかなとも思っています。もちろん、タイやインドネシアの契約を勝ち取るのは難しいので、まずはフィリピンやタイの1部リーグで力を示すのが現実的だと思っています」 ―槙本選手はYouTubeの登録者が3万人を超えるなどご自身からの発信にも力を入れています。始めたきっかけは何だったのでしょうか? 「目立ちたかったからですね(笑)。元々YouTubeを見るのが好きで、自分でも撮ってみたいなとか、面白いのつくれるんじゃないかと思って、始めました。始めてみたら動画の編集も意外と好きになりました。逆に言語化することが下手なので、文章をまとめるのは苦手です。僕が発信をしている意味としては、『海外にもチャンスはあるよ』とか、『もうちょっとサッカーを頑張ってみようよ』とか、可能性を示したくて今はやっています。そこが伝わればうれしいですね」
アスリートマガジン編集部