新一万円札の顔、渋沢栄一に学ぶ「本当に賢いお金の儲け方」…経営者はもちろん大谷翔平にまで支持されるワケ
「新一万円札の顔」としてにわかに注目されている渋沢栄一。500社の企業設立に関わり「日本資本主義の父」として名高い彼は、「証券」や「株式」といった金融システムにおいてもパイオニアだった。渋沢が近年再評価される背景もふまえて、『マネーの代理人たち』の著者で、経済ジャーナリストの小出・フィッシャー・美奈氏が解説する。 【一覧を見る】運用資産1億円の投資家が保有する115銘柄を一挙公開…!
「新一万円札の顔」が作った日本の株式システム
さて、本日3日に新しいお札がいよいよ登場する。 新しい一万円札を飾るのは、3Dホログラムで左右に動く渋沢栄一の肖像画だ。 渋沢栄一の生涯は、2021年のNHKの大河ドラマ「青天を衝け」にも描かれた。吉沢亮が演じたイケメンイメージが脳裏に焼き付いた人には、肖像画のお顔がちょっと地味に感じられるかもしれない。 渋沢栄一については、「日本初の銀行をはじめ、500もの企業設立に携わった日本資本主義の父」などと紹介されているものが多いが、渋沢栄一の活躍を「株」という視点から見ると、もっと分かりやすくて面白くなると思う。 なぜなら、渋沢栄一が「日本資本主義の父」と呼ばれる理由は、事業家として500もの企業に関わったという事実もさることながら、「証券」とか「株式」という資本主義のシステム、つまり多くの人から小口のお金を集めて大プロジェクトを可能にする仕組みに注目し、それをいち早く日本に導入したパイオニアだったことにあるからだ。 このおかげで、日本は外国資本に頼らずに近代化に必要なインフラ整備や産業育成を猛スピードで押し進め、欧米に肩を並べることが出来た。 (こう言うと、渋沢は「銀行」という訳語まで作り、銀行融資を通じて世の中にお金を行き渡らせる金融システムを日本に持ち込んだ第一人者でもある、と突っ込まれること確実だが、筆者のコラムは「株」を切り口にしているので、あえて株の話に絞る) 渋沢は、当時の日本では数少ない、「株」の仕組みを知るコーディネーターとして、八面六臂の活躍をした。1873年、33歳の大蔵官僚として手掛けたのが、日本最初の株式会社となった「第一国立銀行(現在のみずほ銀行)」。「国立」という名のつく、日本初の民間銀行だ。渋沢は、官金取り扱い権利の剥奪という脅しをちらつかせ、ライバル同士の三井と小野組から共同出資の合意を引き出した。 その後、お役所の内部抗争に嫌気をさし、官僚を辞して民間に転じてからは、銀行の次に必ず必要だと考えた証券取引所(東京証券取引所の先駆けとなる東京株式取引所)を作った。 そして、現在の東京ガスや東京海上日動火災保険、王子製紙、日本製紙、東洋紡績、日本郵船、キリン、サッポロ、アサヒホールディングス…などにつながる錚々たる企業群の創設にも株式会社の仕組みを活用し、そこに華族や元官僚、財閥系商人など、自身の人脈で資本と人材を呼び込んでいる。