【証言・北方領土】国後島・元島民 池田英造さん(4)
ロシア側に訴えてかなった国後のホームステイ
――期待するのは、4島返還ですか。 あのね、2島とか4島とかっていうの、最初から出すべきでない。昔、うちの祖父母も馬持ってたもんですから、馬買う人が来んだよね。例えばこの馬、10万円で売りたいっていう思いあるでしょ。「何ぼなら売る」って「10万だら売る」って言う。馬買うやつは「いや、5万だな」。「5万だら売らない」。「せや、6万だな」、「7万だな」、「したら8万だな」ってことになるわけでしょ。「したら、その辺でいいが」ということになる。 話し合いってそういうもんなの。最初から出したら終わりなの。日本なんでね、4島だっていうこと、2人の間で出たらね、さっき言った高田屋嘉兵衛とゴローニンの話出して、次、乃木さんの話出すと、「そういう歴史があるんだ」って。俺、ロシアの人っていうのね、そう悪くないと思う。なんでだったらね、平成5年に、ビザなしで国後行ってきたのさ。 ――最初のころの訪問ですよね。 いや、平成3年ころね、下見に行ってる、視察用に。平成5年の4月に、ロシアから来たの、根室の文化会館で交流会やったのさ。そのとき、いろいろ話して、司会者が「時間的に1人最後」って、言われたから、即、挙手した。そして、「話聞いているとね、ロシアの人も、日本人と変わらねえ人柄だと思った。だけど、俺には、島での思い出、胸の中に黒い固まりがある。ソ連に対する憎しみ、怒り、悲しみ、恐怖感、そういうものが固まりになって残ってんだ。だけど、こうして話してみるとね、それが自然とこうほぐれてったような気がする。それで5月に私、ビザなしで行きます。我がふるさとの土の上に寝てみたい。ホテルとか、旅館とか、わがまま言わない。寝袋でいい。土の上に寝てみたいんだ。やらしてくれ」って言ったのね。 女性の団長さん来た。しばらく黙ってたんですけどね、「いや、無理だと思います。だけど、帰ってから、話してみます」ってことで帰られたのさ。そして、いよいよ、俺らが行く1週間前に、「今回から、ホームステイ認められました」って来た。ホームステイの第1号なの。行って、交流会やったときにね、その団長さん来ましたよね。それで「3回会議やりました」って。「2回は全く受け付けてもらえなかった。3回目にようやく、やってみようかっていうことで決まったんです」ったからね、握手した。「ありがとうございます」って。だから、時にはさ、会議は火花散らしてやるべきだ。