韓国「戒厳令」日本の報道・論評に欠けている“法的視点” わずか3時間の“無血収束”に見えた「日本の民主主義の危機」とは
実は多数の“犠牲者”が出かねない「一歩手前」だった
確かに、死傷者は結果として出ていない。軍隊も、本気の武装をしていなかったようにも見られる。しかし、議会への強行突入を試みていた状況や、議員の逮捕が検討されていた状況なども確認されており、国防長官にあたる立場の者など軍のトップクラスが大統領と意思を通じていたこともわかっている。 それこそ軍全体が本気になれば、多数の死者を出しながら、議会が暴力によって制圧されていた可能性もあった事件なのである。 この温度感・緊張感が、どうも翌朝以降のニュースでは伝わってこないと感じる。 今回の事変の本質を端的に表現すると、次のようになる。 「戒厳令」という制度下にあって、民主主義の根幹を守ろうと命がけで行動していた人たちが、国会議員にも国民にも多数いた。それらの人々が身を挺して、戒厳令下の2024年12月3日午後11時から12月4日午前4時くらいまでの法秩序の下で「違法」とされる行動をとった。その結果、奇跡的に事態が鎮静化に向かったのだ。 思い出すのは、映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」だ。あの映画で描かれた光州事件では、軍事政権への民主的なアクションが、暴力によって鎮圧された。 軍事政権が確立していたら、またあのようなことが起きていなかったとは言えない。成立する目前で、すぐに消火できたからこそ、わずか一晩の事件で済んだのではないか。今回の事件は、そのような映画に残す価値があるような、歴史のターニングポイントだったのではないか。 このような「物語性」「奇跡性」の大きさが、まず本件については伝わるべきである。
国会が戒厳令に反発した理由は“国会と大統領”の「構造的な緊張関係」
次に、このニュースに触れる上で、必ず理解しておくべきことがある。それは、韓国の統治機構での「大統領(行政)」「国会」の位置づけと、日本との違いである。 韓国は、国のトップの大統領を、国民が直接選挙で選ぶ。一方、日本は選挙で選ばれた国会議員が、国のトップの内閣総理大臣を選ぶ。そのため、日本では「議会の多数派=与党」が当たり前のような意識が見られる。 少数与党と言われる現在の自民党と公明党ですら、政党として一番の多数派であることには変わりがない。 しかし、与党というのは英語で「governing party」と表記されるように、あくまで政権側の政党を意味する言葉である。そのため、韓国だと「大統領と同じ勢力にある政党」が与党となる。実際、リアルタイムでニュースを追っている際には、日本語の投稿でしばしば「与党」と「野党」を誤認した反応が見られた。 直近の韓国の国会の議席配分は、与党「国民の力」が圧倒的少数で300議席中108議席、野党の最大勢力である「共に民主党」が300議席中161議席であった。 大統領が戒厳令に走った背景はこれから詳細に検証されるであろうが、少なくともこのように議会を野党に占められ、政権維持に困難をきたしていた背景が影響しているのは間違いない。 さて、この情報をもとに、あらためて戒厳令解除の決議の経緯を見直してみたい。韓国憲法77条5項が「在籍議員の過半数の要求で戒厳の解除を命じられる」と定めているところ、300議席中190人の議員によって、戒厳令解除の決議が行われた。断っておくが、今回の大統領による戒厳令の発令には、与党側も早々に反対の声明を出しており、戒厳令解除の決議に与党議員も参加していることが人数からわかる。 しかし、仮に与党が国会の多数派を占めていたら、これだけ迅速に、かつ多数での決議を行えただろうか。行政のトップに対して立法のトップである国会が対峙できる背景には、「行政と立法の権力が一元化されていない」ということがある。この点を踏まえないと、今回の問題が早期に収束した背景は正しく見えてこない。 「与党議員が良識を持っていた」というだけではなく、あくまで「野党多数の国会」においてこそ成立した対抗措置だったと理解すべきだろう。