【特集】幕末・維新を生きた志士らが眠る『京都霊山護国神社』 日本の夜明けを夢見た坂本龍馬らの墓から見える風景とは?動乱の世に思いを馳せる京都歴史散策<後編>
(若一氏) 「そして、隣にあるのが、妻・松子(まつこ)さんのお墓です。亡くなったのが、明治19年ぐらいだったと思います。夫・木戸孝允が亡くなってから、9年ぐらいですね。ただ、その時でも松子さんは44歳ぐらいなんです」 (五十嵐P) 「みんな若いですね…」
■新しい日本を見ることなく…龍馬と中岡慎太郎は今も並んで京都を見守る
最後に、龍馬と中岡慎太郎の墓へ。 (若一氏) 「この前にだけ特別なスペースが設えてありますが、こちらが坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓です」 (五十嵐P) 「ここに眠っているんですね」
(若一氏) 「慶応3年(1867年)11月15日、龍馬の31歳の誕生日に『近江屋』で襲われて、龍馬はほとんど即死だったといわれています。中岡慎太郎は傷を負いながらも2日ぐらい生き延びたけど、亡くなりました」
(若一氏) 「昔は、『近江屋』で襲われて、1週間ぐらい経ってからここに埋葬されたんではないかといわれていました。しかし、最近ではいろんなことがわかってきて、15日に襲撃されて2日後に中岡慎太郎が絶命し、その17日の夜に、ここに運ばれてきたのではないかと。だから、亡くなられて結構早い時期に、ここに埋葬されているんです」
(五十嵐P) 「新しい日本を作ろうとしていたのに、新しい日本を見ることなく亡くなって、悔しかったでしょうね」 (若一氏) 「『大政奉還』という思いがけない形で歴史が動いたのも、この二人がかなりの仕事をしたからだと思います」
(若一氏) 「そして、こちらが、龍馬の付き人で、襲撃された日に一番先に殺された山田藤吉のお墓です。19歳でした。この3人が『近江屋』で受難したということです」
■龍馬らの墓から見える風景 今の日本に何を思うのか―
(若一氏) 「坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓の前に立つと、京都の街を一望できます」 (五十嵐P) 「本当に全て見えますね。ここから、ずっと京都の移り変わりを見ていたんでしょうか」 (若一氏) 「見守りながら、眠り続けているわけです」
新しい日本の夜明けを夢見て、戦い続けた幕末の志士たち―。彼らは今も、日本の行く末を静かに見守り続けています。 (「かんさい情報ネットten.」2024年6月12日放送)
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