【兵庫県知事に斎藤元彦氏再選】政治と報道のプロを完膚なきまでに打ち負かしたネット世論
■ 一人駅立ちから始まった「復活のストーリー」 元県民局長の告発文書をめぐり、記者や県議たちから半年間にわたって追及され、最後には86人の全議員から不信任決議を受けて県庁を去った斎藤が、再選することなどあり得ないと当初は見られていた。斎藤に未練を残す自民や維新の県議は何人かいたものの、組織の支援はなく、選挙スタッフもほとんどいない。文字通り、孤立無援だった。 ところが失職から知事選告示までの1カ月間で、ネットを起点に世論は批判一色から擁護・応援へと大きく振れる。 きっかけの一つが失職翌日の9月30日、地元のJR須磨駅から始めた朝の駅立ちだった。戦略というよりも、「それしかやれることがなかった」と陣営のスタッフは言い、斎藤本人も手探りだったと振り返る。「最初は様子がわからず、周囲も遠巻きに見ていた。少しずつ声をかけてくれる方が出てきて、SNSで発信すると駆けつけてくれる方が徐々に増えていった」と。 10月5日に掲載した記事「『なぜあなたは斎藤元彦・兵庫県知事を支持するのか?』失職した斎藤氏を応援する人に聞いた」で書いた失職2日目の甲子園口駅では、立ち止まって声をかける人は10人弱だった。 その1週間後の加古川駅では20人余りに増え、写真撮影やサインを求める列ができ始めた。さらに三宮で80人、西宮北口で100人超。衆院選中は駅立ちを休んだが、10月31日に知事選が告示されると、聴衆は雪だるま式に膨らんでゆく。都市部で1000人から数千人、郊外や農村部でも数百人が集まった。数ばかりではない。拍手や歓声、斎藤コールが自然に湧き起こる熱気に包まれた。 斎藤が体現しようとする「復活のストーリー」に多くの県民が共鳴し、その参加者となっているように、私には感じられた。斎藤はそれを意識した演説を各地で行っていた。約(つづ)めれば、こういう内容だ。
「県議会やマスコミから辞めろ辞めろと言われ、日本中が敵になった。“鋼のメンタル”と言われるが、そんなことはない。投げ出したい時もあった。しかし自分がやってきた県政は決して間違っていない。改革を止めるわけにはいかない。須磨駅でたった一人の駅立ちを始めた時は不安だった。罵倒されることもあった。でも、ネットで真実を知った人たちが一人また一人と応援に集まり、ここまで来られた。あなただって一人じゃない。誰かが見ていてくれる……」 徹底して斎藤元彦という個人目線のストーリーである。それゆえ、改革の内容や進め方に対する疑義は挟まれない。告発文書の犯人捜しをした初動対応や、結果として職員を死に至らしめたことも、そのストーリーでは問われない。 ■ 選対本部スタッフは地元の若手経営者たちと中高時代の同窓生 不信任の理由となった「知事の資質」は、決してうまくはないが、実直そうな演説ときれいなお辞儀によって肯定される。「あれは作ってできるものじゃなく、彼の人間性が滲み出ている。あんな人がパワハラなんてするわけがない」というわけだ。そんな声を複数聞いた。 支持者の声を聞いて回ると、斎藤への同情や共感と、マスコミ・県議会・県庁への不信と反感が表裏一体になっていることは、これまでの記事でも触れてきた。 それら「既得権益」に対して、ネットでつながり、情報を共有する「個人」たちが嘘と欺瞞を暴く。真実と正義はこちらにあることを世に示す。その闘いの象徴として、斎藤は押し上げられた。 では誰がその筋書きを戦略として描いたのかといえば、これが判然としない。 選挙対策本部のスタッフは、3年前の初出馬時にも関わった地元の若手経営者たちと、斎藤が中高時代を過ごした愛媛県の愛光学園の同窓生が中心になっていた。選挙の経験があるアドバイザー的存在も何人かいたが、プロの選挙コンサルタントが継続的に入ってはいないという。いわば、素人選対だった。