時代の試練に耐える音楽を――「落ちこぼれ」から歩んできた山下達郎の半世紀
山下達郎は今年、69歳を迎えた。1975年、シュガー・ベイブの中心メンバーとしてデビューし、翌年にソロシンガーとしてスタート。半世紀近く経った今も新作を世に送り出し、ライブツアーで全国を回る。「制作方針は、風化しない音楽」と語る通り、代表作の「クリスマス・イブ」をはじめ、多くの曲が時代を超えて愛されている。青春時代の苦労、自身の音楽表現、夢を追う若い世代への思い。歩みを振り返りながら、存分に語ってもらった。(文中敬称略/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
シティポップブームは「40年前に言ってよ」
「僕らの世代は、日本のロックミュージックの黎明期で、『DON'T TRUST OVER THIRTY』の時代だったことも相まって、30歳から先のロックシンガーの展望なんて全くなかった。僕に限らず将来に関してはみんな探りながら悩みながら、何とか30代40代と、がんばってくぐり抜けてきたんですけど、でもまさか70近くになって、現役でアルバムを出してるとは想像もできなかった」 「僕は最終的にレコードプロデューサーになるのが夢だったので、50くらいまでは、いつやめるかってずっと考えていた。82年にムーンというインディー・レーベルを立ち上げた時、僕のビジネスパートナーからは、90年代に入るまで、つまり37歳くらいまではがんばってくれと言われた。そこで最初で最後の武道館公演をやってやめよう、と。『みなさんありがとう』って、百恵さんじゃないけど(笑)。ところが89年、『クリスマス・イブ』(83年)がオリコン1位になっちゃって、やめられない。それでも、一生やり続けようと決めたのは、50代になってからで。2008年からライブツアーを再開してもお客さんが来てくれて活動が継続できたので、これはもう続けるしかないと思って今に至るんですよね」
数年前から、世界中の音楽シーンで「シティポップブーム」が起きている。70年代半ばから80年代にかけて、日本で生まれた都会的なポップミュージック。山下はその中心人物として、海外のリスナーからもリスペクトを集める。ブームについて尋ねると、「40年前に言ってよ」と笑い飛ばす。 「シティポップをどう思いますかと聞かれても、正直、『分かりません』としか答えられない。全ては運だとしか答えようがない。数年前に渋谷で、20代のアメリカ人青年に『GO AHEAD!』(78年)のアルバムにサインしてくれと言われて。どこで知ったんだって聞いたら、ネットだって。変な時代だな。ありがたいけど(笑)」 「私はね、極東の片隅のね、日本という国でね、ごく質素にやってきた者なんです。全然メインストリームじゃないんです。10代の時は音楽オタクで、誰も聴かないような音楽を聴いていたんです。全米トップ40も、トップ10にはあまり興味がなくて、目当てはいつも30位あたり。大ヒット曲には見向きもしませんでした。そういう音楽の聴き方で育った人間が作ってる音楽なんて、誰が聴くんだ?っていう疑問をいつも自分に投げかけて。なので、拡大志向はやめようと」