時代の試練に耐える音楽を――「落ちこぼれ」から歩んできた山下達郎の半世紀
ボイストレーニングはしない
それでも、自身の音楽表現を貫いた。 「シュガー・ベイブでデビューする時に、シングルはこれ(『DOWN TOWN』)じゃ駄目だと言われた。他にも『曲はいいが詞が弱い』『歌詞はプロの作詞家に書かせる』、イヤだと言うと、『おまえは売れたくないのか、売れたら何でもできるぞ』とかいろいろ。だから『僕は別にそんなことまでして売れたくありません。シングルは『DOWN TOWN』以外にはないです。それでないならやめましょう。別にあと何年下積みしても構わないですから』って。22歳。あの時は我ながらカッコイイ!と思いましたよ(笑)」 「70年代は文字通り売れないミュージシャンでした。『GO AHEAD!』を出した時には、ソロアルバムを出すのは恐らくこれで最後だろうと思ったんですよ。ところがその翌年に、アルバムに入ってる『BOMBER』という曲が大阪のディスコで流行り始めて、そこが運命の分かれ道でね。そこからようやくきっかけがつかめて、『RIDE ON TIME』(80年)のヒットにつながった。それまでのアルバムは低予算を余儀なくされてて、もうワンテイク録りたくても、『予算がない。やりたいことをやりたかったら、レコードを売れば?』って。だからなんで売れたかったかといったら、もうワンテイク録りたかっただけ。行動原理は当時から変わってないんです」
「1回ヒットしたら、世の中バラ色、悠々自適で左うちわ、なんてのも全然ウソ」で、その後も悩みながら歩んできたと語る。86年に『POCKET MUSIC』を作った時には、アナログからデジタルへの転換期でレコーディングに七転八倒。今もテクノロジーの変化に合わせて、常にレコーディングのノウハウを模索している。 「経験則って恐ろしいもので、1回成功するとしがみつくんですよね。だいたい職人は50代ぐらいでそういう壁にぶち当たるんですけど、その時にそれまでのものを捨て去って、新しいノウハウを学習しようとするか、『いや、俺はこれでやってきたんだ』って言って、停滞していくか。そういう分岐点がいくつかあるんですよ」 「それまでの実績にあぐらをかいてると、あっという間に取り残される。Spotifyで配信はしないですけど、Spotifyのグローバルチャート50はいつも聴いてます。今の時代の音像というか、空気感は絶対に必要なので。そこに自分の今までのスタイルをどう融合させていくか。まさに『RIDE ON TIME』だな(笑)」 2000年代に「CDの時代が終わる」といわれるようになると、08年にライブ活動を再開した。今もオリジナルのキーで歌うが、ボイストレーニングはしていない。 「ボイストレーニングはあまり信用してないです。個性をなくすから。例えばオペラのベルカントなら、スカラ座の壁を突き破るような声を出すための訓練が要る。でも、僕らはマイクに乗っける声なので、しゃがれ声でもとっちゃん坊やでも、それも個性になる。人間が肉体的にどこまでやれるかという観点では、歌うことはそれほど長く続けられない場合が多い。だから音楽文化は、比較的若い文化として享受されている。サッカーと同じで、年を重ねて声をちゃんとキープするのは容易でない。還暦過ぎてどれだけ声を出せるかは、運不運でしかない要素も多い」