時代の試練に耐える音楽を――「落ちこぼれ」から歩んできた山下達郎の半世紀
耐用年数ばかり考えてきた
誰が聴いても分かるものを作っているつもりはないという。しかし、世代を超えて誰もが口ずさむ曲を生み出している。例えば「雨は夜更け過ぎに」から始まる「クリスマス・イブ」。88年にJR東海のCMソングに起用され、翌年オリコンチャートで1位を記録し、30年以上にわたってチャートイン。クリスマスの風物詩となっている。 「制作方針は昔から、風化しない音楽、いつ作られたか分からないような音楽。耐用年数ばかり考えてきた。KinKi Kidsの『硝子の少年』(97年)を書いた時もそう。『絶対ミリオン超えの曲を』という難題を課せられて作ったんだけど、関係者の間では『暗い』『踊れない』って大ブーイングだった。そうすると、KinKiの2人も不安になるわけですよ。でもその時、僕が彼らに言った言葉は、『大丈夫。これは君たちが40になっても歌える曲だから』と。確信犯だった」 「普遍性というのかな。時代の試練に耐えること。『あの頃、彼氏と一緒に聴いた、懐かしの……』っていう想い出ツールも大切だけど、古き良き懐メロにならないためにはどうしたらいいか。それは、曲、詞よりも編曲なんです。あとは、それを補佐するミュージシャンの優秀な演奏力と、それを録音するエンジニアの力」 「僕の曲は基本的にワンパターンです。好きな響きが少ないので。だから、誇りを持ってワンパターンと言ってます。映画監督の小津安二郎の有名なせりふで、『俺は豆腐屋だから豆腐しか作らない』という、そんな感じ。落語とか浪花節とか文楽、そういうものは何十年も変わらないのでね。変わらない中で、どう今の時代の空気を吸っていくか」 ライブには、長年のファンの子ども世代が訪れるようになった。 「それは日本が七十数年間平和だったからですよ。第二次世界大戦みたいに時代がバッサリ切られていれば、親子の断絶があったり、文化的な乖離があったりする。文化が続くためには平和が続くように努力しなくてはならない。だけど現実は、なかなかそううまくはいかなくて、この先どうなるか分からないけど、でも今まで生きてきて、自分が何をすべきかは常に考えてきたつもりです。僕は音楽家なので、それを音楽で表現しようと努めてきました」