考察『光る君へ』8話「一緒に行くか?」 「…行っちゃおうかな」遂に捕縛された直秀(毎熊克哉)の運命は?
道兼の告白
道兼が為時に、父から虐待を受けていると告白する。真に迫っていて思わず本気にしてしまいそうだが、幼い頃から身体的暴力を振るわれていたとしたら、あの優しい母・時姫(三石琴乃)が兼家と睦まじく過ごしていたとは考えにくい……。第1話、閨で兼家の肩を揉みながら時姫は道兼の乱暴ぶりを心配していた。 ただ、身体的暴力は偽りでも、精神的に追い込まれ、父の操り人形となるよう仕込まれるのも、れっきとした暴力、虐待である。その事実が道兼の言葉に真実の響きを与えているのだ。
琵琶を奏でるまひろ
亡き母・ちやは(国仲涼子)の形見の琵琶を道兼の前で奏でるまひろ。彼女は第5話で「道兼を呪う」と言った。そして今、現れた母の仇と向き合い、一音一音、念を込めて弦を弾く。 聞け、お前に殺された女の声なき声を。聞け、その女の娘の恨みを。お前が今座っているのは、お前が殺した女の骸が置かれた部屋だ。ここで呪いを、その体の隅々まで染み込ませろ。 これは呪術の場面ではなかったか。まひろは右大臣家での寄坐のように、母の霊を自分の体に降ろすつもりで演奏したのではないか。しかもこの呪いを為すのは、ちやはの血を分けた娘である。どんな寄坐よりも確かだろう。 右大臣家での祈祷と寄坐を見せておいて、この琵琶演奏である。物語の巧みな構成に舌を巻いた。 緊迫感が素晴らしい。 少し脇道に逸れるが、ここでは乳母・いと(信川清順)が印象的だ。彼女はちやはの亡骸も、為時家族の嘆きも、その後の父娘の確執も、7年間ずっと見てきている。それ故に道兼を迎えたという事の重大さに青ざめ、盃を受けず去る。 ここ数話、まひろへの文をチェックしようとしたり、為時に右大臣の間者をやめないでくれと泣いて頼むなど、家人(けにん)としての身分を超えたようなそぶりのあった彼女だが、長年ともに暮らしてきた人間としての息づかいがそこにあった。 そう、家人も人間なのである。この作品は、彼女だけでなく乙丸(矢部太郎)百舌彦(本多力)など、貴族に仕える者の存在が大きい。