「孤独とは、一人で生きていく覚悟」下重暁子がパートナーシップを語る 最愛の夫ピート・ハミルをなくした作家が二人の日々を綴った感動の手記(レビュー)
映画「幸福の黄色いハンカチ」の原作者として知られる作家でジャーナリストのピート・ハミルさんと結婚したのは、13歳年下の日本人女性・青木冨貴子さんだ。 1948年に東京で生まれ、大学卒業後、フリーランス記者を経てノンフィクション作品『ライカでグッドバイ――カメラマン沢田教一が撃たれた日』でデビューした青木さんは、1984年に渡米し、「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長を3年間務める。そのときに出会い、結婚したのがピートさんだった。 その出会いから別れまでを綴った手記『アローン・アゲイン―最愛の夫ピート・ハミルをなくして―』(新潮社)が3月に刊行された。 大恋愛の末に結ばれ、33年間の結婚生活を通して夫の創作活動を献身的に支え続けた青木さんの想いとは? 本作を読んだ、作家・下重暁子さんが綴った書評を紹介する。
下重暁子・評「もがく。ふたり暮らしの、その先で」
「アローン・アゲイン」、その題名がすべてを物語っている。人は、一人で生まれ一人で死ぬのだ。その事実は誰にとっても同じ、しかしその間の出会いや、辿る道筋で起こる出来事や決断によって様々な人生が待っている。 作者の青木冨貴子さんは、ジャーナリストとしてアメリカの「ニューズウィーク日本版」のニューヨーク支局長として渡米する所から人生が大きく変わる。それまで、ノンフィクション作家として日本で活躍してキャリアを積んだ。その間仕事にだけ生きてきたような人生に、大きな変化をもたらす出会いが待っていた。 ピート・ハミル。映画「幸福の黄色いハンカチ」の原作者である。私もその映画を見たが、むしろ彼について印象に残っているのは、ベトナム反戦運動の盛んだった1960年代に反戦を訴えていた姿だ。その影響を受けて、日本での「ベトナムに平和を!」の運動に時々顔を出す破目になったのである。 短編小説や歴史小説などがベストセラーになったことで名前は知っていた。その人にインタビューしたのを機に心を通わせ、青木さんがニューヨークで勤務することになって、ふたりの仲は急速に縮まる。仕事仲間として、さらに一人の男と一人の女という個人として。 そして一度ならぬ幾度もの別れの予感を経ながらも、運命的に結ばれる。しかしそれ以降も、個人として自らの生活と仕事は続け、ピート・ハミル、青木冨貴子という個人であり続ける。私も結婚後、ふたり暮らしの中で一人暮らしを変えなかったから、その生活態度がよく理解できる。 むしろふたり暮らしをしてこそ一人暮らし、独立した個人として生きられるかどうかが試されるのだ。一人なら一人暮らしが当然だから、ふたり暮らしの中でこそ自立が試されることをいやというほど味わった。 青木さんも悩みながらも、ふたり暮らしの中で自立を見事に試みていたように思う。 年を重ねてからのふたり暮らしは、個人と個人が相手を認め合う旅であった。 そんな中でひたひたと近づいてくるものに気付きながら、気付かぬふりをすることの辛さ、しかしそれは必ずやってくる。