「やられる勇気ある?」と言われ、答えられなかった…早稲田大学1年生がジャニーズJr.オーディションで経験した“その人”との出会い
30年来のジャニーズ(現STARTO ENTERTAINMENT)ファンであり、『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)の著者でもある霜田明寛さんが、2023年の一連のジャニーズ性加害問題以降に感じてきた葛藤と思いを込めた『 夢物語は終わらない ~影と光の“ジャニーズ”論~ 』(文藝春秋)を上梓した。 【画像】早稲田大学在学中にジャニーズJr.オーディションを経験した霜田明寛さん ここでは同書より一部を抜粋して、霜田さんが大学1年生の時に初めて受けた「ジャニーズJr.」オーディションの日に“その人”と出会ったことや、年下の少年の思いもよらぬ覚悟に困惑した体験を紹介する。(全3回の1回目/ 続きを読む ) ◆◆◆
夢のオーディション会場へ
“その人”に会えば人生が変わる。 そう信じてきた人に対面を果たせる日は、願い始めて8年後にやってきた。 「ジャニーズJr.になりたい」 思いを込めて送り続けた履歴書に4回目にして返事が来たとき、僕は大学1年生になっていた。何度確認しても、その封筒はジャニーズ事務所からのオーディション通知だった。封筒をあけながら、人生の半分をかけて願っていた夢の輪郭に触れた気がした。 絶対になくさないように机の中にしまって、取り出しては夢ではないかと確認する日々を10日ほど繰り返し、その日はやって来た。 2004年7月。オーディション会場となったテレビ東京のスタジオ周辺に着くと、少年たちだけではなく親の姿も多く見られた。それもそのはず、そこに呼ばれていたのは小学生から中学生が主で、自分と同じ18歳以上を見つけるのは至難の業だった。スタジオ内は親も入ることができ、席も用意されていて、そっちの方を見ると、まるで授業参観のようだった。全員がやる気に満ち溢れているかと思いきや「連れてこられた」という雰囲気の少年も多く、親たちのほうが浮わついているのを感じ取れた。
学校の背の順だと小さいほうだった僕も、この中では頭ひとつ抜きん出てしまっていた。それは同時に今がもう“遅すぎる”タイミングであることを告げられているようでもあった。小学生たちが可能性のかたまりに見え、自分は受験戦争などというものに時間を費やしている間に、その可能性を減らし続けていたのだということに気づく。戻れない時間の重みと、削ってしまった可能性の大きさを嫌でも自覚させられる。僕は、自分が大人になってしまっていることに絶望した。 ただ、いつも見ていたジャニーズJr.の番組である『Ya-Ya-yah』のスタジオの中に自分がいるという状況に加え、さらにはジュニアのレッスン風景に潜入したりする番組で見たことのあった振り付け師・サンチェさんの登場は、気を引き締めるには充分だった。 お手本として登場した当時ジュニアの千賀健永と山本亮太のダンスが目の前で見られることに高揚しながらも、課題曲だったタッキー&翼の『夢物語』の振り付けを覚えていく。
【関連記事】
- 【続きを読む】「ま、一言で言っちゃうと商品だよね」大ブレイクの最中だったのに…20代の木村拓哉が「キムタク」呼びに示した“嫌悪感”の意味
- 【もっと読む】オーディションを3回もバックれた“ワル哉くん”だったのに…木村拓哉(52)が“日本で最も数字を持つ男”であり続けているワケ
- 滝沢秀明(41)率いるTOBEのオーディションが「Jr.オーディション」そっくり!? “ジャニーズのいいところ”だけを残した新組織への希望と、ジュリー社長に唱えてほしい「あの呪文」
- 「キラキラしたPさま見てカッコよ~!と思っていました」…バク転もできない歌も歌えないイモっぽかった手越祐也(35)の“デビュー秘話”
- BBCドキュメンタリーは、ジャニー喜多川氏の「スキャンダル」報道でなにを浮き彫りにしたか