「やられる勇気ある?」と言われ、答えられなかった…早稲田大学1年生がジャニーズJr.オーディションで経験した“その人”との出会い
人生をかけた夢の行方
サンチェさんの言った「あとで」の“あと”とはカメラテストのことだった。ひとりひとり、カメラの前で簡単に自己紹介をする。しかし、一回拒絶されてしまった僕に、そして何より“あの人”が見ている前でCHARAのモノマネをする勇気はなかった。 2人同時に進めるために2台設置されたカメラの真ん中に、ジャニーさんは立っていた。 僕の番がやってくる。もう片方の列に並んでいた少年も、もう1台のカメラの前で自己紹介をしていて、ジャニーさんはそっちを見ていた。 スタッフの方に合図を出され、とりあえず学校名からかなと思い「早稲田大学商学部1年……」とはじめると「早稲田」と言うやいなや、ジャニーさんが僕の方を見た。そして一瞬で僕の顔を確認すると、もと見ていた少年の方に視線を戻した。 こうして僕の10年の想いを、いや人生をかけた挑戦は終わった。 最後に、事務所のスタッフとおぼしき女性が「今日来てもらった皆さんは、ジャニーズJr.研修生です」と言って説明を始めた。オーディションに来ただけでもう研修生扱いなのだという事実を初めて知る。そしてこう続けた。 「時間が経って必要なときに呼ぶことがありますので、すぐには連絡がなくても待っていてください」 履歴書に書いた電話番号が自宅のものであったことを思い出し、僕は大学最初の夏休みを、ほぼ家から出ずに過ごし、電話を待ち続けた。 夏休みも終わりかけた9月。自宅で観た『ミュージックステーション』でデビュー曲『浪花いろは節』を歌う関ジャニ∞のバックに、オーディションで隣にいた男の子の顔を見つけた。ああ、僕は選ばれなかったんだ、と感じた。後日、雑誌で、その子の名前が山田涼介というのだと知る。 3年後の2007年には山田がメンバーのHey! Say! JUMPがデビューした。 あの日、同じ会場にいた深澤辰哉や阿部亮平も約15年のジュニア期間を経て、2020年にSnow Manとしてデビューしている。「やられる勇気がある」と豪語していた少年を、その後ジュニアとして見かけることはなかった。 「ま、一言で言っちゃうと商品だよね」大ブレイクの最中だったのに…20代の木村拓哉が「キムタク」呼びに示した“嫌悪感”の意味 へ続く
霜田 明寛/ライフスタイル出版
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