画面いっぱいのSOS「もう、試合に出たくない」/中島啓太インタビュー <前編>
2度目の予定外の帰国 「五輪の最終日の朝、限界が来た」
万全の状態で挑んだ「BMW―」は20位。8月1日からの「パリ五輪」を前に「全英オープン」(7月18日~21日)まで3連戦を組んだが、今度はメジャー直前に腰の痛みが出た。 これも原因が分からない。“だましだまし”戦ったが、メジャーで自身初の予選通過はかなわなかった。「取材を受けても『結果が全てです』としか言えなくて、言葉が見つからなかった。オリンピックまでの1週間は欧州に残って練習しようと思っていたけど、予選にも落ちてかなり落ち込んだこともあって。一度日本に帰ると決めた」 帰国の翌朝、腰痛が悪化して靴下が履けない、顔も洗えない。「かがめなくて。MRI検査でも何も出なくて、ヘルニアでもない。ここ2年くらいは腰痛がなかったのに…。全英と五輪、大きい2試合のタイミングだったので、本当にきつかった」 それでも五輪は待ってくれない。「できることをやるしかない。背中をガチガチにテーピングしてオリンピックに行ったけど、最終日の朝に限界が来た。一度も座ってラインを読めなくて、ティアップも両足でしゃがんでやっていた。本当に、悔しかった」。日の丸を背負った戦いは49位で終えた。
「もう、試合に出たくない」 松山英樹に送ったSOS
パリから帰国後、3週間の休息で体はある程度回復した。8月末の「英国マスターズ」で再び渡欧。ところが、現地入りしたとたんに再び痛みに襲われた。 「4日間戦ったけど、心が折れた。振れないし、何をやってもうまくいかない。ゴルフをやりたくない、もう試合に出たくないと思ったのは初めてでした。このまま、今シーズンが終わりでも良いと思った」。予定していた5連戦は、英国の1試合で終わってしまった。 試合に出るはずだった9月は、大半の時間を自宅のトレーニングジムと練習場で過ごした。「錬さんとパター練習で遊んだり、リハビリしたり。試合を休んでそんなことをしていたら、家族やチームのみんなも、思うことがあると思う。それでも回りがポジティブでいてくれて、つられて自分も段々前向きになったんです」 地元で行われる10月「日本オープン」(埼玉・東京GC)だけは、出場しようと決めた。「日本オープンに勝つために、その前に1試合出ようと思って。国内の試合に出ようか迷っていた」 ―『それならスペインに行ったほうがいい。行ってダメなら、棄権しな』 復帰戦として欧州ツアーを勧めたのは、松山英樹だった。 「迷っていたとき、松山さんに相談してみようと思ったんです。松山さんもケガと戦いながら試合に出て、勝っている。試合にエントリーしたら勝つために戦わないといけないし、それを誰よりも実践しているのが松山さんだと、五輪で感じた」 LINEで体の状態と悩みをつづったメッセージは、スマートフォンの画面が埋まるほどの長文だった。返事は電話で返ってきた。 『体に痛みがあっても戦うのは当たり前。日本オープンに出るのは良いと思うけど、今後海外で戦いたいなら、スペインに行った方が良いと思う』 松山との電話は20分間。気持ちが傾いたとき、栖原弘和トレーナーと岡崎キャディからも同じタイミングでスペイン参戦を勧められた。「1週間だけだけど、行ってみよう―」。9月末「スペインオープン」参戦に向けて、久しぶりの欧州に向かった。