かつて世界から絶賛された「日本的経営」が“デメリットばかり”に変貌したワケ【経営学者が解説】
企業内組合
~景気低迷期には、労使協調体制をベースにした経営支援的役割が期待されるが… 「三種の神器」の第三は、「企業内組合」である。諸外国では労働組合が職種別産業別に組織化され社会的影響力を発揮している。それとは対照的に、わが国の労働組合は企業別に組織された単一組合が基本となっており、企業別に分断された組織になっている。欧米型の職種別・産業別労働組合と比べて、日本型の企業別組合では個々の企業組合がそれぞれに主体性を持って自己完結的に活動することが可能である。そのため、各企業の事業状況に柔軟に合わせて、労働者の利益と企業の経営効率との調和を達成する役割を果たしている。 また、内部昇進昇格が前提のわが国の人事制度の下では、同じ企業内で階層や職種を越えて価値の共有化が促進される。その結果、労使の相互理解が深まって、労使間の緊張が緩和して労使協力体制が構築しやすい。さらに、組合活動の管理運営体制に関与することを通じて管理職の育成にとっても重要な役割を果たす。一方で、企業内組合の下で労働者は企業の一員としての立場・意識が強化されて、労働者としての立場や意識が希薄になる。そのため、業績や社会的状況といった所属企業の事情を内面化し、経営者側の論理に従って妥協することも多くなる。とりわけ、景気低迷期には、労働組合は圧力団体としてではなく、労使協調体制をベースにした経営支援的役割が期待される。 このように、企業内組合の存在によって、わが国では労使協調型マネジメントが醸成・強化されてきた。しかし、企業側の都合で労働者側が自身の権利を放棄せざるを得ないことも少なくなかった。過度な労使協調体制は、企業にとってのステイクホルダーとしての労働者本来の立場を阻み、健全なガバナンスの障害となってきたことも事実である。
日本的経営の理論展開
~「三種の神器」は、そもそも“当時の人事制度の特徴を示したもの”に過ぎなかった これら「三種の神器」がそもそも日本企業の強みの源泉であったかどうかを巡って、日本的経営が理論化されるプロセスではさまざまな議論が展開されてきた。その代表的な議論の一つは、「三種の神器それ自体、日本企業に特有であるのか」という根本的なものであった。確かに、日本以外の先進国でも年齢や勤続年数と賃金の間に相関関係があることは知られていた(*4)。また、日本的経営の特徴を、日本文化や日本人の心理特性の違いといった特殊論によって説明しようとする「文化論的アプローチ」では普遍性の有無が争点となったし(*5)、当時の日本的経営研究が分析対象と隔たりがある点を批判する見解も提起された。 日本的経営研究の大家である岩田龍子氏は、当時の様子を次のように評している(*6)。 「戦後の約30年間、日本の経営学は、規範論の性格を持つアメリカモデルを普遍モデルとして受け入れてきた。このため、日本の経営の現実に対する理論的関心は低く、進んだ(と考えられてきた)アメリカモデルとの対比で、日本の後進性が指摘されるとか、日本の現実を少しでもアメリカモデルに近づけるという関心が持たれるにとどまっていた。日本の現実の中から、それに適合的な理論化を行うという努力は、皆無といっても過言ではない状態であったのである。」 日本企業が国際的な先進企業との企業間競争で伍して戦えるようになる以前、日本の経営学者たちは、日本企業の競争優位性がどこにあるのかを理論的に説明する方法を確立していなかった。そこで、日本的経営をジャーナリスティックに説明するために、日本企業の強さの源泉として、すでに社会制度として定着していた「三種の神器」を前面に押し出したのであった。要するに、「三種の神器」は、当時の日本企業の人事制度の特徴を単に示したものに過ぎなかったのである。そう考えると、第1次オイルショックによる混乱と日本経済の停滞によって、日本的経営への関心が失せてしまったのも当然である。 ところが、二度目のオイルショックを機に、日本的経営が再び脚光を浴びることになった。第1次オイルショック後に一挙に加速した減量経営によって、日本企業の業績は二度目のオイルショック以降急激に回復して、国際舞台で圧倒的な競争優位性を発揮するようになった。1960年代の高度経済成長期にこそ及ばないものの、1980年代には3~5%程度の経済成長を安定的に確保し、日本企業そして日本的経営はかつてないほどに脚光を浴びるようになった。ハーバード大学の社会学者ボーゲル・エボラ F.(Vogel.E.F)の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の大ヒットはその証左である。 さらに、この時期、「三種の神器」などの社会制度は、人間と組織の関係のベースの形成と関連づけられるようにもなった。西山忠範氏は指摘する(*7)。 「日本においては、企業は労働者の生活の場であり(生活共同体)、欧米等の資本主義国のように、経営者は資本家である株主の身代わりではないから、経営者と一般労働者の間には隔絶感はなく、経営者も労働者の一員として、両者は同一性と一体性をもつ。日本の労働組合の体質が外国のそれのように戦闘的でなく、協調的であること、日本の組合が企業別であること、全社的な品質管理(TQC)の存在、日本的終身雇用制など、所謂『日本的経営』の特徴とされている多くの現象は日本企業の構造的特徴と無関係ではなく、また、現代日本経済の急速な発展とも結びついている。」 こうして日本的経営研究では、日本企業のコミュニケーションや意思決定システムの特徴などに関心が向けられるようになった。たとえば、細かいマニュアルや職務記述書に基づいて仕事が進められず、上司の指示も大まかで包括的であることが多く、情報も公式的なルートで得るよりも個人的なつながりや人間関係・信頼関係で収集されることが多いといったことが、日本的経営の優越性の源泉として指摘されるようになった。 また、分業が曖昧で、各自の仕事が互換性を持ってそれぞれの担当者の協力によって進められる傾向にあったことから、経営の合議制や稟議制度(*8)、頻繁に開かれる会議などを通じて制度的に情報の共有化が積極的に進められていたこと、あるいは「根回し」(*9)などのセミフォーマルなコミュニケーション・ネットワークが重要視されていたことが、日本的経営の特徴として指摘されるようになってそのメカニズムの解明が進められた。 さらに、人事施策として行われるジョブローテーションが企業全体のコミュニケーションを促進して情報共有の実現に貢献することや、定期的に職場を変えることによって各職場の情報が個人に蓄積することでも組織全体の情報共有が促進されることが、日本企業の強みとなっている点も言及されるようになった。当時の研究について前出の岩田龍子氏は、次のように指摘している(*10)。 「近年に至って、少数の経営学者が、日本の現実そのものに対して“真面目”な関心を持つようになった。その結果、日本の経営の現実が規範論等してのアメリカモデルと大きく乖離していること、しかし、それは、日本の社会における、社会的・文化的環境に適合するよう、長年の間に形成されてきた一つの適応形態であること、そのためそれは、日本の社会ではそれなりに機能を発揮するものであることが認識されるようになった。」 こうした先達の研究を下地にして日本企業研究を新たな方向に導いたのが、当時一橋大学教授であった野中郁次郎氏や伊丹敬之氏、神戸大学教授加護野忠男氏、明治学院大学教授寺本義也氏、東京大学助教授藤本隆宏氏といった気鋭の経営学者であった。彼らおよびその薫陶を受けた若手の経営学者たちは、日本企業の経営行動を分析し、新しい視点で日本的経営の実証研究を行い普遍的理論の構築を試みた。その結果提起されたのが、「知識創造(*11)」「人本主義(*12)」「暗黙知(*13)」など日本発の経営コンセプトであった。また、欧米においても、日本企業のケーススタディをベースに『経営革命(*14)』『コアコンピタンス(*15)』『リエンジニアリング(*16)』『ビジョナリー・カンパニー(*17)』などの経営研究が公表され一時代を築いていた。 このように、日本的経営研究および日本企業研究は、その後の経営学研究に大いに貢献したのであった。 ----------------------------------------- 【注】 *1) 2021年現在、多くの企業では60歳を定年と定めている。 *2) 樋口美雄、「長期雇用システムは崩壊したのか」、日本労働研究雑誌、No.525/April,2004 *3) 1810年代の産業革命期に英国の織物・編物工業地帯に起こった機械破壊運動。産業革命によって生まれた機械工業のため失業の危険にさらされた手工業職人や労働者による運動。 *4) 岩田龍子、『日本的経営論争』、日本経済新聞社、1984、p.19 *5) 前掲書、pp.45-72 *6) 前掲書、pp.187-188 *7) 西山忠範、『日本は資本主義ではない』、三笠書房、1981、p.98 *8) 稟議制度とは、「稟議書」と呼ばれる書類を回覧して、当該の意思決定に関係する部門および職位の審議を経て多くの関係者の承認を得てから実行に移すという意思決定方法である。基本的には、情報伝達、承認権限の確認儀礼としての性格を持っているが、意見対立の解消、情報の共有が主たる機能である。日本的経営論の草分け的権威である小野豊明は、『日本的経営と稟議制度』(ダイヤモンド社、1960)の中で、「稟議制度は日本の企業経営のすべてであった」と記述している。 *9) 「根回し」とは、コンセンサスを得るための非公式的なプロセスであり、上述の稟議制は、根回しを公式化したものと言われている。メリットは、職務権限の曖昧な部門間の意志疎通を促進することによって、腹蔵のない話し合いによって意見の食い違いを解消しながらよりよい解決手段を見つけだすことができることにある。 *10) 岩田龍子、前掲書 *11) 野中郁次郎、竹内弘高、梅本勝博、『知識創造企業』、東洋経済新報社、1996に詳しいので参照 *12) 伊丹敬之、『人本主義』、筑摩書房、1987に詳しいので参照 *13) 野中郁次郎一橋大学名誉教授がポランニーの研究を参考にして日本企業の特徴を解説している。 *14) Peters Tom, “Handbook for a Management Revolution”, Excel/,a California Limited Partnership, 1987(『経営革命』平野勇夫訳、TBSブリタニカ、1989)に詳しいので参照 *15) Hamel Gary & Prahalad C. K., “Competing for the future”, Harvard Business School Press, 1994(『コアコンピタンス経営』一條和生訳、日本経済新聞社、1995)に詳しいので参照 *16) Hammer Michael & Champy James, “Re-engineering the corporation”, Harpercollins, 1993(『リエンジニアリング革命』野中郁次郎訳、日本経済新聞社、1998)に詳しいので参照 *17) Collins Jim & Porras Jerry I., “Built to last”, Harper Bus, 1994(『ビジョナリー・カンパニー』山岡洋一訳、日経BP社、1995)に詳しいので参照 ----------------------------------------- 岩﨑 尚人 成城大学経済学部教授、経営学者 1956年、北海道札幌市生まれ。早稲田大学大学院商学研究科博士課程後期単位取得満期退学。東北大学大学院経済学研究科修了、経営学博士。経営学の研究に加え、企業のコンサルティング活動に従事。主な著書に、『老舗の教え』『よくわかる経営のしくみ』(ともに共著、日本能率協会マネジメントセンター)、『コーポレートデザインの再設計』(単著、白桃書房)などがある。
岩﨑 尚人