都市における自然な距離感とは?建築家・クマタイチがシェアハウスをつくる理由
生まれ育った東京の街で、シェアハウスを建て、自ら住み、都市における新しいコミュニティのあり方をさまざまな角度から検証している建築家・クマタイチ。彼が思い描く街の姿と、人々のこれからの住まい方とは? 【写真】建築家・クマタイチのシェアハウス
東京の神楽坂、江戸川橋、早稲田に囲まれたあたりは出版社や印刷工場、そして名だたる文豪や画家の生家などもあり歴史・文化の香りが高いエリアとして知られている。最近では“奥神楽坂”なる新名称もあるようだ。建築家クマタイチは幼少期よりこのエリアに住まい、現在6軒のシェアハウスを中心とした不動産物件を企画し、運営している。建築家自身が自主的に行うプロジェクト自体珍しいが、そもそもなぜシェアハウスを始めたのだろうか? 「母(建築家の篠原聡子)が元々集合住宅の研究をしているんです。実家の近くに良い条件の土地が見つかったので最初はアパートを建てようか、という話もあったのですが、貸してしまうとその後の様子もわからないので、シェアハウスにしたらいいんじゃないか? と。居住者たちのルールを決めたり、ミーティングしたりが必要になってきて『まずは試しにあなたが住んでみてよ』と母に言われたことがきっかけとなりました。それが2012年に7人でシェアを始めた矢来町の物件『SHAREyaraicho』なのですが、当時は新築でシェアハウスを作るという事例が日本にはなくて、建築学会賞もいただきました」 生まれは文京区の茗荷谷。「両親(父は建築家の隈研吾)ともに建築家で、生後すぐはどちらも事務所を立ち上げたばかりで忙しく、5歳くらいまでは母方の祖母の家がある千葉県の東金に預けられていました。その後は両親のいる矢来町で育ちましたが、私立の学校に行っていたので地元の友達はほとんどいないんです。シェアハウスに住むことで地元に擬似家族的な人たちとの交流が生まれた感じですね」。住人は20~30代が多く、中には隈研吾事務所に勤務するヨーロッパ系の人も。全員が面接を経て入居する。どのシェアハウスも10室以下で小規模なところも特徴だ。「元々知り合いじゃない人も多いですが、みんな楽しんで住んでいる。シェアハウスごとにコミュニティもそれぞれ個性的で、中には結婚したカップルもいます。都内には100人規模の大きなシェアハウスがいくつかあって、転々としているような人たちもいますが、うちの場合はこのエリアに魅力を感じて住んでいる人が多いような気がします」。 海外、特にニューヨークなど家賃の高い都市ではルームメイトとアパートをシェアする、といった住まい方も一般的だが、プライバシーを重視する人も多い日本ではシェアハウスという住形態はなかなか難しいのではないか? とも思われる。しかしながら、その昔、江戸には長屋という”集合住宅“もあり、密集した住空間でご近所同士助け合いながら暮らしていた。「火事と喧嘩は江戸の華」という諺もあるが、防災もいざこざも地縁のある住人同士で協働していく、そんなカルチャーもかつて存在した。一方で、昨今都心に続々と立ち並ぶタワーマンションでは「ラグジュアリーになればなるほど、専用エレベーターがあるなど、いかに人に会わずに自分の部屋に行くか、というのがトレンドになっています。でも、そういうのって不自然かな、とも。都市における自然な距離感の住まい方を見つけられたらいいかな、とは思います」。 シェアハウスの1階にはイタリアンレストランやバーなど飲食店が入っているところも多く、住人と近隣の人たちを繋げる装置としての役割も果たしている。飲食のコンテンツに関しては、元々ワイン好きだったということもあるが「建築を作るとき、やっぱり中身も含めていいものを作りたいな、という気持ちが強い。行く目線で考えると、単にカッコよくて1回行って写真に撮って終わり、というのではなく、繰り返し行きたい、ということにならないとその場所にとってはメリットがあまりないんじゃないかと思うからです」 9月にはこのエリアに5~6室のスモールホテルをオープンする計画もあり、1階には台湾料理店とカフェが入る予定になっている。「最近、海外の友達からシェアハウスに泊まらせて欲しい、というリクエストが増えてきたのでホテルもやってみようかと。神楽坂や江戸川橋など最寄駅のどこからも徒歩10分以上はかかる敢えて観光客が行かなそうな立地ですが、神田川沿いの下町感もあり、楽しいのではないかな」。シェアハウスは最低でも数ヶ月単位のコミットメントが必要だが、ホテルなら数泊でもその街の住人気分を味わえそうだ。 建築を志した理由について「両親からは特にやって欲しい、というリクエストはなかったのですが、学ぶものが近くにあるのは良いことだし、いざやるとなったら便利。そういう視点で見るようになったのは最近のことですね。もともと、いろいろな人たちと何かを作っていくというのが好きで、チームワークが得意でした。だからアートという志向ではなく、建築に向かったのかな、と思います」。現在はシェアハウスの一室にオフィスを構える自らのTAILANDという事務所と、外苑前にある隈研吾事務所を毎日行ったり来たりする日々。そこかしこで大規模な都市再開発が進む東京だが、TAILANDの取り組みはある種、地方のまちおこしにも通じる都市のローカル色を豊かにするような視線が感じられる。街は人があってこそ。そして建築に集う人の個性がその街の魅力も作っていく。デフォルトとして自然災害や疫病への危機が無視できない時代でもある。建築を介して人びとがゆるやかに繋がっていく、近未来の街のあり方も想像させる一連のプロジェクトだ。 BY AKIKO ICHIKAWA