大谷翔平“史上初の高校生160キロ”を見た男・鈴木匡哉の回想「仮想・大谷の170キロのマシンより…」それでもバットを短く持たなかった
近年、高校野球界では、140キロ台はおろか、150キロを超えるスピードボールを投げ込む投手も珍しくなくなってきた。ただ、160キロとなると、大谷翔平(花巻東、現ロサンゼルス・ドジャース)と、佐々木朗希(大船渡、現千葉ロッテマリーンズ)の2人に限られる。 【写真】「マジか」157→159→160キロと投げ込んでピンチをしのぎ雄叫びをあげる若き日の大谷と、爽やかに昔を振り返る男前駅員の鈴木さんなど写真を見る 2012年。大谷が計測した高校生史上初の160キロを体感した打者は今、福岡県にいる。JR九州に勤務する鈴木匡哉(まさや)さんは、福岡市東区に位置する香椎駅の駅員として、列車の安全運行を日夜支えている。 「香椎駅では主に営業の業務に従事しています。泊まりの勤務もあって、朝から駅を開けて、みどりの窓口の営業が終わるまで、窓口にいるような形ですね」 東北から九州の地に来て12年。今では福岡での生活にも慣れ、「夜になるまでの時間も、暑い期間も長いですけど、住みやすいです」と白い歯を見せた。
大谷も一関学院に来るという話だった
宮城県出身の鈴木さんは中学時代、塩釜中央シニアでエース左腕として活躍。「打撃も別に悪くはなかった」というようにクリーンアップを任されるなど、チームの主軸を担っていた。大谷が所属していた一関シニア(岩手)とは、県をまたいでよく練習試合をしていたとあって、その存在は早くから知っていた。 「大谷選手は中学のシニアの時点でもの凄く球が速く、東北で一番速いと言われていました。投手のイメージが強いのですが、当時はあまりコントロールがよくなかった印象です。打者では、うちのグラウンドで本塁打を打ったこともありました」 高校は一関シニアにほど近い一関学院(岩手)に越境入学。実は大谷と“同級生”になることに、密かに期待を寄せていたという。 「大谷選手も一関学院に来るという話だったんですよ。そういう噂を小耳に挟んだりしたので、希望は膨らんでいきましたね。一関シニアから一関学院に進む選手も、僕の同級生では2人いました。それで、一関学院に来るかと思いきや、花巻東に決まった時は残念でしたね(笑)」 このすれ違いがなければ、「あの1球」を体感することはなかっただろう。だから、人生は面白い。 一関学院は、鈴木さんが1年時の2010年夏の甲子園に出場(鈴木さんはベンチ外)するなど、岩手2強の花巻東、盛岡大付にひけをとらない戦績を誇っていた。しかし、鈴木さんが最上級生となり、エースとして初めてベンチ入りした2年秋からの新チームは、周囲から「弱い」と言われ続けてきた。 「花巻東か盛岡大付、そして一関学院というように、その2校と甲子園をかけて戦うということが、それまでは“マスト”でした。ただ、僕らの代は弱いと言われていて、そこでスイッチが入りました」
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