大谷翔平“史上初の高校生160キロ”を見た男・鈴木匡哉の回想「仮想・大谷の170キロのマシンより…」それでもバットを短く持たなかった
「対戦はしたことあるよ」と言います(笑)
「肘があまりよくないというのもありましたが、社会人で10年やれたというのは、僕からしたら考えられないことで、やりきったまではいかないですけど、十分やれたかなと思っています」 挑戦することの尊さは、大谷から教えてもらった。仕事前には、海の向こうで活躍するかつてのライバルの結果を確認してから、駅に出るのがルーティンとなっている。 「あんな凄い選手と同じ県の、同じフィールドでプレーしていたというのは、自分の財産です。メジャーでも挑戦する姿はカッコいいですよね。日本人の誇り、別格です。陰ながら応援させてもらって、励みになっています」 将来的には指導者として野球に貢献したい思いもある。「大谷選手のことを聞かれたら、『対戦はしたことはあるよ』と言います(笑)」。160キロに見た夢の続きは、まだ先にある。鈴木さんだからこそ伝えられることが、きっとある。
(「甲子園の風」内田勝治 = 文)
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