「サブスク天国」に満足できないオタクの悲しい性
ショスタコーヴィチの15曲の交響曲を全部聞くために、東京の青山にあった遠山音楽図書館(当時)に通ったこともある。あるいは、英国の作曲家レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)の9曲の交響曲を全部聞くために、東京・上野の東京文化会館の4階にある音楽資料室を使ったりもした。 それが今やサブスクを使えば、自宅で、しかも当時のレコードとは段違いの音質であっさり聴くことができる。「ここは天国ですか!」だ。 ●天国にいても満足できない 私は音楽のサブスクではApple Music(アップルミュージック)を利用している。同サービスにはiOS向けに「Apple Music Classical」というクラシック専門のアプリがあって、主に作曲家別に聞き進めている自分には便利極まりない。 おかげで私は三善晃(「『ルックバック』は問いかける『で、あんたはどうなんだ?』」)にも大きな影響を与えたフランスの作曲家アンリ・デュティユー(1916~2013)の作品をまとめて聴き、あるいはヤニス・クセナキス(1922~2001)の轟音(ごうおん)バリバリの作品にどっぷり浸ることができた。 今は「ショパン以後、もっとも偉大なポーランドの作曲家」と称されるヴィトルト・ルトスワフスキ(1913~1994)の作品を聞き進めている。また、「Apple Music Classical」はまだ知らない作曲家の作品も薦めてくるので、「こんな音楽があったのか、こんな作曲家がいるのか」と、日々楽しく新たな情報に触れることができている。 では、こうやって意志的にサブスクを使いこなして、自分が満足し切っているかといえば、これがしていないのである。 端山貢明(はやま・こうめい、1932~2021)という作曲家がいる。三善晃のエッセーに「義兄の端山さん」(端山夫人と三善夫人が姉妹だった)として登場するので、名前は自分が高校生の時から知っていたのだが、作品はなかなか聞くことができなかった。調べると、三善と同じくフランスに留学して作曲を学び、1950年代から1970年代半ばまで活発に活動している。ところが、1970年代後半に作曲をやめて、コンピューターとメディアの関係を探るメディア論の研究者に転身したのだった。 そのせいか録音された作品がほとんどない。辛うじて「ピアノソナタ」(1960年)だけは録音がある。それを聞く限り「この人、作曲家としてすごい。ただ者ではない」という印象なのだが、他の作品は聞くことができない。 音楽之友社が1980年に「最新名曲解説全集」というルネサンス以前から現代に至るまでの代表的な音楽作品を一気に解説する全集を出版している。同全集第10巻「協奏曲3」には端山の「ピアノと管弦楽のための交響的変容」(1969年)や、「6人の打楽器奏者とオーケストラのための道(ダオ)」(1975年)が紹介されていて、掲載された譜例を見るにものすごく面白そうなのだ。が、どこにも録音がないので聞くことができなかった。 ●片山杜秀氏がNHKから掘り起こしてくれた ところが、だ。 2024年9月21日のNHK-FM「クラシックの迷宮」で、上記「交響的変容」「道」を含む端山のオーケストラ作品4曲がまとめて放送されたのである。パーソナリティーの片山杜秀氏(政治思想史研究者、音楽評論家。慶応義塾大学法学部教授。「汎用AIの時代に読む『大楽必易 わたくしの伊福部昭伝』の面白さ」参照)が、NHKに残っていた音源を見つけ出し、放送してくれたのだった。 端山貢明という人の存在を知ってから44年を経て、やっと私は端山のオーケストラ作品を聞くことができた。 NHKが録音を死蔵していたのである。放送してくれたことには感謝しかないが、しかし本音を叫べば「バカヤロー、あったじゃないか!」だ。 実のところ、こういう扱いを受けている作曲家や作品は、端山だけではない。他にも、存在を知ってから半世紀以上、いまだ実際に聞くことができないでいる音楽作品がいくつもある。今回はこうして目利きの片山氏が蜘蛛の糸を垂らしてくれたが、救われない衆生はまだまだ数限りなくいるだろうし、もちろん自分も聞きたい曲は山のようにある。 聞きたい曲すべてを聞くことができるようにならない限り、自分はサブスクに満足することはないだろう。「お前は、アカシックレコードが欲しいのか」と言われそうだが、そうだ、私はアカシックレコードが欲しいのだ。少なくともそのために必要な技術的基盤はサブスクという形で、今や存在しているのだから。 NHKにはこれまでも色々文句を書いているが(「『ブラタモリ』終了とあの番組の復活に思う」など)、クレームの1つに「手持ちの録音音源を、すべてサブスクに出してくれ」というのを加えよう。「皆様のNHK」なんだろ。「RIDERS CLUB」や「ラジオライフ」と同じぐらいやってくれてもいいじゃないか。
松浦 晋也