忙しくてもできる、 “お祈りのニューノーマル”とは?/塩沼亮潤大阿闍梨「くらしの塩かげん」
1300年間にわずか2人しか成し遂げた人がいない荒行「大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満行者、塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)大阿闍梨(だいあじゃり)。最難関の命がけの荒行を経験し、修験道を極めた塩沼さんがいま切に感じるのは「日々の“あたりまえ”のことこそ難しい」ということ。 塩沼さんの著書『くらしの塩かげん』から、私たちの“あたりまえ”の暮らしにそっと光を灯す小さなヒントをお届けします。
いつでもどこでも。
文/塩沼亮潤 自分が今ここに存在しているという事実。また、そこには親がいて、そしてそのまた親には……とたどり続けると、いったい誰に行き着くのでしょう。 この壮大な命のリレーという仕組みの中に存在している私たち。奇跡と不可思議を感じ、自然と両の手を合わせ祈る自分がいます。 お祈りは神仏の前だけではなく、いつでもどこでも、仕事中でも布団の中ででも、日常どんなときでも心の中で手を合わせることができるもの。 すなわち、心の信仰です。 ボーダーレスの時代と言われ、世界中の人と人とがインターネットでつながっていますが、神仏や先祖に対して、心をもってつながる時間も大切ではないでしょうか。 5秒でも10秒でもいいのです。心の中で感謝の祈りを忘れずに。
塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)
1968(昭和43)年、宮城県⽣まれ。1987年奈良県吉野の金峯山寺で出家得度。1999年「⼤峯千⽇回峰⾏(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満⾏をはじめ、2000年には9⽇間の断⾷・断⽔・不眠・不臥の中、御真⾔を20万遍唱える「四無⾏(しむぎょう)」を、2006年には、100日間の五穀断ち・塩断ちの前⾏の後、8000枚の護摩を焚く「⼋千枚⼤護摩供(はっせんまいだいごまく)」を満⾏。同年故郷の仙台市秋保に福聚山 慈眼寺(ふくじゅさん じげんじ)を建立。「⼼の信仰」を国内外に伝えている。簡単なようで難しい日々の「あたりまえ」の大切さを綴った書籍『くらしの塩かげん』(世界文化社刊)大好評発売中。