高田馬場駅周辺の町名が「高田馬場」になったのは意外と近年。以前は駅の東西で分かれていて…<旧町名>でたどる新宿区の歴史
◆三光町、花園町 <三光町> 思い込みとは恐ろしいものです。人の成長を阻害する要因は先入観であることを思い知りました。 突然何の話だと思ったあなたに、ひとつ質問です。 新宿に花園(はなぞの)神社という街の総鎮守がありますが、その鎮座する地の旧町名は何でしょうか。 神社名は「花園」神社でゴールデン街内の通名はあかるい「花園」n番街です。わかりました? それでもわからない場合は、いますぐ現地へ直行し、靖国通り側の鳥居をくぐり、すぐ側の石碑に刻まれている町名をお読みください。「四谷區花園町」と書かれていますね。 しかし正解は「三光(さんこう)町」でした。そう、これが先入観です。 古地図を見れば花園町ではないことは容易に判断できるはずですが、私も鳥居裏の「花園町」文字に完全にだまされました。 そして突如現れた謎の概念「三光」。彼は江戸期の神仏習合時代に花園神社と合祀されていた三光院の三光です。 明治の神仏分離令で本寺へ納め廃絶したものの、花園神社は地域の方から「サンコイさん」と親しまれていたとか。 つまり、三光町の方が花園町よりも花園町なのです。 <花園町> なぜ花園神社から離れた新宿1丁目の旧町名が花園町なのか。 実は花園神社のある三光町も花園町も元々は同じ内藤新宿町・内藤新宿北裏町で、四谷區への編入時に町名が分かれたのです。 つまり、場所はともかく花園町が花園を使ってもOKでした。 三光町が花園町を選択していたら花園町はどうしていたのでしょう。
◆諏訪町、坂町、本塩町、三栄町 <諏訪町> 高田馬場駅周辺の町名は、高田馬場です。 この当たり前の事が当たり前の事になったのは昭和50年からで、高田馬場以前は駅の西側が戸塚町、東側が諏訪町という町名でした。 そもそも駅名自体も地元では「上戸塚駅」か「諏訪之森駅」を希望していたほどですので、町名の消滅が比較的遅めなのもうなずけます。 <坂町、本塩町、三栄町> 平成25年4月1日、新宿区である画期的な出来事が起こります。なんと、町域を変更せずに住居表示の実施が可能となったのです。 街区方式による住居表示の場合、道路を境界として町域を形成する事になります。そのため小さく細かい町は従来の町域を崩すまたは町が消滅してしまいます。 千代田区の神田地区や新宿区の牛込(うしごめ)地区で住居表示が進まない要因はこの点であるとされていました。 そこで新宿区では住居表示の実施基準を改正し、町の沿革やコミュニティを重視しつつ住居表示を進められるよう、町域や町名もそのままでの住居表示を可能としたのです。 その結果、平成27年7月21日に坂町(さかまち)、平成29年9月19日に本塩町(ほんしおちょう)、平成30年8月13日に三栄町(さんえいちょう)と、四谷地区で相次いで住居表示が実施されました。 しかも注目すべき点は、従来の町名そのままでいいにもかかわらずこれら3町名すべてが「四谷」の冠称が付く形に町名変更を行ったことです。 以上をまとめると、旧町名を3つも輩出いただきありがとうございます。
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