【ラン初心者が1000日間1日も休まずに走れた理由】その経験から得たものを語る
何が何でも毎日走る
いつの間にか冬が来て、ランニングを日課にしてから丸1年が過ぎていた。その頃ちょうど耳にしたポッドキャストの内容が胸に響いた。アスリートのリッチ・ロールとの対談の中で、“耐久系詩人”のトミー・リバーズ・プゼイは、致命的かつ極めて稀な進行性の肺がんで2020年に死にかけたのち、もう一度歩く練習と走る練習をしなければならかなったときのことを振り返り、こう言った。 「私たちは、来る日も来る日も自分に言い聞かせています。自分の責任は自分自身にあるんだと。自分はベッドから出ずに快適さばかり求める惨めな生き物なんかじゃなくて、日が昇る前に起きて頑張れる人間なんだと」。この言葉は今日の今日まで忘れていないし、疲れたときや走る意味が分からなくなったときの私を支え続けてくれている。 この言葉をランニング中のマントラにしてからは、速いペースを維持したり距離を伸ばそうとしたりして、自分にプレッシャーをかけなくなった。このときからランニングが挑戦や困難ではなく、絶対に欠かせない日課になったと思っている。体の調子と気分に合わせて距離とペースを調節し、燃え尽きてしまうほどではないけれど、頑張っている実感は湧く程度に自分自身を追い込んだ。 絶対に欠かせない日課をつくることの難点は、妥協が許せなくなること。コロナ禍が開け、以前の多忙な生活が戻ってくると、“毎日”最低5km走るのが難しくなってきた。今日はさすがに無理と思った日はないのかと頻繁に聞かれるけれど、前述の通り私は頑固。忙しくなったぶん、起きる時間をさらに早めた。仕事のイベントや家族旅行で夜明け前に走る日や、終電で帰ってきた人と行き違いに走る日もある。 2022年12月、インフルエンザをこじらせて、ベッドから出られなくなった。それでもなんとかシューズを履いて1.5km走った私に人々は「逆効果」と言うだろう。でも、700日も連続で走ったらあとに引けない。ゼエゼエ言いながら涙目で走ったあの日は、1000日間で一番キツかったと思う。全然楽しくなかったし、頭がスッキリすることもなかった。それでも私は走るのをやめられなかった。インフルエンザという超正当な理由があったにもかかわらず、1日休んで連続記録を止めてしまうくらいなら一時的に悲惨な想いをしたほうがマシに思えた。